しかしだからといって書かないことにすると一日の生活の姿がはっきりしなくなってしまう。酔生夢死という感じになってしまって、ぼんやりと過ぎていってしまうのだ。一日に形を与えるという意味では意味がなくはない。毎日他の文章を一定量書いていればそういうこともないと思うのだけど。
知ることよりも考えること、形を与えることに重点をおいているという点で、モンテーニュは間違いなく作家であって学者ではない。