3673.ブログと文章(09/04 20:49)


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友人のさまざまな活動を見ながら、言葉を駆使する作家というものは、何も持たずに言葉の力だけですべてを実現していくものであり、志が彼のすべてなのだということに思い当たり、かなり感動している。そうした刺激を受けて私も言葉を生み出していきたいと思うようになって、ブログに割いていた時間をそうした言葉を生み出す時間にあてることにしたのだ。

これからこのブログでは何を表現するかというと、基本的には日常のことになるだろう。こんなふうに、考えたことを書くこともあるかもしれない。ただ、自分の表現において、サブ的なものときちんと位置付けることだけは自分に対してはっきりさせておく。時間が許せば書くが許さなければ書かないものとして。その位置を変えてはならない。

堀田善衛『ミシェル 城館の人』第二部、320/494ページ。アンリ3世のポーランド脱出のエピソードが読んでいて面白い。このあたりのところはさすが小説家だ。伝記として読んでいると著者が小説家であることを忘れてしまうのだが。

塩野七生『ローマ人の物語』34巻[迷走する帝国・下]読了。過渡期としての3世紀、軍人皇帝時代の重要性がよくわかってとても面白く読めた。セヴェルス朝と軍人皇帝時代に共和制以来ローマが築いてきたものの多くが崩れ、ディオクレティアヌス以降のドミナートゥス制時代のかなりの部分が準備されているということが理解できた。帝政ローマの前半期、1〜2世紀と後半の4世紀でどうしてこんなに違うのか本当にはよく分っていなかったのだけど、3世紀の変化を理解することでだいぶ把握できるということが了解された。

キリスト教の勝利の原因は、ただローマの衰亡による、という塩野の見解はなるほどと思う。多神教の神は生きる道を自分で見つける人間をかたわらにあって助ける存在だが、一神教の神は生きる道そのものを指し示す神だ、という説明も大変分り易い。今日のように混迷深い時代には、そうした神の方が求められるのかもしれない。

今日は物を書いて一段落して、10時過ぎに散歩がてら郊外型の大規模安売り店に行ってみた。なんでもある。という感じ。みな自動車で移動する時代になると、駅周辺の小規模な小売店では対抗できないなあと実感する。アイスクリームを一つだけ買って、川べりで景色を見ながら舐めた。


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