3669.荒川の花火の後/身体性と芸能と演芸(08/05 08:07)


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昨日。数日来の疲れが出たのと暑いのとであんまり何も手に付かず。ブログを更新した後、銀座に出かける。久しぶり。

王様の仕立て屋~サルト・フィニート~ 19 (19) (ジャンプコミックスデラックス)
大河原 遁
集英社

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教文館で大河原遁『王様の仕立て屋』19巻を買う。と書いて、買ったことを思い出した。まだ読んでない。しかしスーパージャンプ誌上では既に全話読んでいるので、復習みたいなもの。ゆっくりよめばいい。

もう一つ、仕事関係の本がほしかったのだが教文館にはないのでブックファーストに行って見る。しかしここにもない。なるほど銀座においてあるような種類の本ではないんだなと思う。木村屋で小倉のあんぱんといちじくパンを買い、大手町に出る。

<画像>仏教が好き! (朝日文庫 か 39-1)
河合 隼雄,中沢 新一
朝日新聞出版

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丸善で本を物色、仕事の本を買った後、もう一冊何か買おうと思い、見つけたのが河合隼雄・中沢新一『仏教が好き!』(朝日文庫、2008)。単行本は2003年。この頃はまだ河合は元気だったんだな。うーん、しかし今ぱらぱら読むと中沢の喋りの方が多いな。河合隼雄ともう一度真剣に向き合ってみようと思って買ったのだけど。

家に帰ってみると、平原演劇祭主催の高野君からミクシィのメッセージ。昨日の日記にリンクを張らせてくれというので承諾。三つ目のステージ、『村の宝』について、高野君によると、目指しているのは『芸能』ではなく、むしろ『演芸』であり『軽演劇』であるのだという。なるほど、そういわれて見ると底辺の表現者としての役者、という高野君のテーゼにも合致する部分が出てくる。しかしそうなると身体性は日常生活ではなく、訓練によって培われる物になるから、かなり大変なことになるのではないかなという気がする。もちろん目指す物が高いのは悪いことではないのだけど。

身体性について考える。私という一人の人間としての現象が本当に関心があるのは言語性でも心理性でもなく身体性なんだなと思う。意識の部分で、そういうことをきちんと認識していないのだけど、何を考えても身体性がその思考から抜けてしまっていると、自分の考えに真実味が出て来ないのだ。このへん上手くかけないが、創作的な物になるとそういうことが著しく現れてくるだろう。こうしたブログの文章でも、自分の思ったようにかけてるかどうかということは、その問題を抜きにしてはいえないのではないかと思う。

身体性についてもっといろいろ考えたのだけど内容は忘れてしまった。またどこかでちょこちょこ書くだろう。夜は疲れが出て早めに就寝。花火はマンションの通路から少しだけ見た。土星型の花火がたくさん。しかし雷が鳴り響いていて、稲妻の方が花火よりすごかった。

朝5時前起床。暗いうちから洗濯機を三釜回し、布団に乾燥機をかけ、洗い物を片付け、ゴミを捨てる。6時から散歩に出かけ、荒川へ。荒川の周辺はゴミがめちゃくちゃに散乱し、また山積みになっていてひどい状態。とちゅうで大雨洪水警報が出たから、きっと途中で中止になって早く帰れということになったに違いない。6時前だからまだ片付けもされてないのだろう。小雨がぱらぱらし、ときどき遠くで雷の音も聞こえたが、本格的には降らなかった。


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