3660.堀田善衛『広場の孤独』/倫理と感傷の相互乗り入れ(09/16 21:51)


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<画像>広場の孤独・漢奸 (集英社文庫)
堀田 善衛
集英社

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堀田善衛『広場の孤独』読了。大変よい小説だった。びっくりした。こういう作品を書く人なのかと。小説として面白い。オーストリアの亡命貴族で現ブローカー、なんてロマネスクなキャラクターを引っ張り出してもちゃんと芥川賞が取れるんだと驚いた。というか、芥川賞を見直した。このキャラクターにリアリティがあるかどうかは意見が分かれるところだと思うが、朝鮮戦争の混乱期の東京と、第二次大戦末期の混乱期の上海に主人公のカップルとともにそこにいたという設定は充分ありえるなあと思う。というよりも、世界的にみればこの程度の人物設定は全然OKだと思うのだが、日本の純文学はそういうところがやや厳格すぎるような気がする。

登場人物もうまく類型を書き分けている。逆にいえば登場人物が類型的であることを弱点として指摘することも出来る。これは一つの寓話だと思えばいいという気もするし、「三酔人経綸問答」みたいなものだと言ってもいいように思う。あるタイプを代表するような人なので、ストレートに分りやすい、ということの功罪だと言ってもいい。しかしそこにシンプルな力強さがあることも確かなので、私はそのあたりも含めて好きだ。

コミットメント、という問題をめぐって話が展開する。構図がはっきりしているので書こうと思えば構図はすぐに書けるのだが、それを書いてしまうとつまらないので省く。ただ、サンフランシスコ講和条約の前には、どの国にもつかない、という「光栄ある孤立」のような夢を描けた時代だったのだ、ということは印象に残った。アメリカや資本の側にコミットしたくない。かといって共産党やソ連の側にも。そして生きていることによって否応なく国際情勢という化け物に飲み込まれていく。主人公は国際情勢から逃れて亡命することを最後に拒絶するのだが、それもまた一つの夢の表現であり、決意でもある。

日本がアメリカにつく、ということに忸怩たる思いを抱いている人は現代でも日本人に少なからぬ割合でいるはずだ。日本がもし敗戦国でなかったら、どこの国にもつかないということも可能だったかもしれない。しかし敗戦という現実を受け入れさせられ、さらに国際情勢に巻き込まれ二大陣営のどちらかにコミットせざるを得ない現実も飲まされていることへの知識層の苦しみを描いたという意味では現代でも十分に読める作品だ。

また、占領末期の風俗もとてもリアルに描かれていて、こういう時代だったのかと肌で感じられるところがある。

「堀田善衛の『広場の孤独』の出現は、ほとんど一つの事件として迎えられた。

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