3655.楊逸「老処女」/大相撲の立ち合い問題(09/21 19:05)


< ページ移動: 1 2 >
<画像>ラ・ロシュフーコー公爵傳説 (集英社文庫)
堀田 善衛
集英社

このアイテムの詳細を見る

今日は在東京。午前中は曇っていて自転車で地元のスーパーに買い物に行ったが、午後は雨が降ってきた。3時過ぎに丸の内の丸善に出かけ、堀田善衛『ラ・ロシュフーコー公爵傳説』(集英社文庫、2005)を買う。オアゾの一階が通行止めになっていて、一度地上に出てしまったら丸善に入れなかった。二階の東西を結ぶ歩道橋とその下が通行止めにされていて、このスカイウォークが何らかの不都合があったようなのだが、原因はよく分からなかった。

地元に戻って雨の道を歩いていたら急に強くなり、ズボンの裾がだいぶ濡れた。

帰ってきて相撲を見る。今場所は立ち合いが問題になっているが、朝青龍が「場所前に急に変えられても対応できない」とぶつぶつ言っていたけれども、いろいろとまどいはあるだろう。もちろんこれは相撲協会全体の粛正策の一環として、「立ち合いの正常化」によって土俵を引き締めるという武蔵川新理事長の方針だ。立ち合いをきちんとやるというのは原則論として当然のことなので、そういわれて反対することは誰にも出来ない。ただ、北の湖前理事長の時代にはそれがなあなあになっていただけなのだ。しかしそのなあなあ状態に慣れてしまっている力士たちにとっては厳しくやられると対応できないということが出ているわけで、まあ慣れてもらうしかない。

私が相撲を見始めたのはまさに北の湖全盛時代で、現理事長の三重の海や先代の大関貴乃花が活躍していた頃だ。当時はほとんど手をついてなかったことを覚えている。手つきの厳格化は今までも何度か図られているが、ちょうど小錦が上に上がってきた頃にもそういうことがあった。小錦を取り上げた番組の一シーンでそのことについてアメリカ人の友人に小錦が説明していたのだが、そのとき彼は友人たちに英語で、「今場所からルールが変わったんだ」と説明していた。その説明がとても奇妙なものに感じたので今でもよく覚えている。

厳密に言えばルールが変わったわけではない。ルールを厳格に適用するようになっただけなのだ。しかし、現場にいる力士たち、特にそういう曖昧な、ルール適用が厳しくなったり緩くなったりする日本文化になじみのない外国人力士にとっては「ルールが変わった」と割り切るしかないということだったのだろうと思う。そういう部分が、文化的ギャップだったんだなと思う。小錦はクレバーだから引退までうまくやったけれどもしばらくして相撲協会を離れた。やはりクレバーな小錦にとっても文化的ギャップは結局埋められなかったんだろうと思う。


< ページ移動: 1 2 >
3655/5074

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21