3652.JEミレイ「オフィーリア」/文学はダサいと思っていた/王監督引退など(09/24 08:58)


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考えてみればそれは今の文学でもそうで、文学が多かれ少なかれ人生を描いていることは間違いない。立ち読みした雑誌で豊崎由美が楊逸を「何でいまどきこんな近代文学を読まされなければならないんだ」とこき下ろしているのを読んだが、じゃあ近代文学と現代文学の違いって何だろうと考えた。思ったのは、近代文学が人生はなぜ生きるか、ということがテーマになっていることが多いのに対し、現代文学は人生をどう生きるか、ということがテーマになっているのではないかという気がしたのだ。近代文学のほうが根本的で現代文学のほうが差異的とでもいえばいいか。いや、この表現はこなれてないな。昔から文学のテーマは「人生如何に生くべきか」であったしただ訳せば「どう生きるか」にしかならない。近代文学は国家や政治や社会が障害になるが、現代文学は国家や政治は外れてきていることが多いとでも言うか。少なくとも日本では。社会も大上段にその弊害を論ずるというより、その中でいかにしなやかに生きるかとか、自分の持つ社会に対する違和感をどう表現するかとか、そういう感じになってきているというべきなのか。2000年以降の芥川賞作品は一通りすべて読んでいるのだけど、それらすべてを概観してこれ、と一言で言うのはそう簡単ではない。しかし楊逸が異色であるのは確かで、それを語る言葉を探して行きたいと思う。そんなことを書店をめぐりながら考えた。

夜中に暑くて目が覚めて思い立っていくつか整体体操をして見たが、これが割合うまく行って体が少し楽になった。朝は5時過ぎに起きて洗濯したりトイレの掃除をしたり。新聞と水とスーパージャンプをコンビニで買ってくる。秋の朝の空気は気持ちいい。

スーパージャンプ。今号は「フレフレ少女」が泣けた。

朝日新聞を読む。一面に王監督の引退が大きく出ている。昨日ソフトバンク戦を見ていて、アナウンサーがしきりに試合終了後に記者会見を予定している、という話をしていたので、そうだろうと思っていたが、やはり淋しいニュースだ。長島が「今のパリーグの隆盛の一因も王監督の功績の一つ」と言っていたが、そうかもしれないと思う。強さだけなら、西武の黄金時代だった80年代後半から90年代、あの頃には近鉄に野茂もいたし、オリックスにイチローもいて、セリーグに全く遜色はなかった。しかし今のようにパリーグの試合がセリーグに劣らず取り上げられるようになったのは日本シリーズのON決戦以来かもしれないと思う。パリーグの球団はどこも特徴のあるチームになった。唯一出遅れていたオリックスも今年の活躍で特徴がはっきりして来た。確かに王監督がいることでパリーグの存在感が増したということは否めないように思う。やはり偉大な選手であり、監督だった。

大阪サントリーミュージアムの「青春のロシア・アヴァンギャルド展」に出品されていたカンディンスキーなどの作品が真正さに疑義が寄せられ、展示中止になったとのこと。この展覧会は文化村でやったのを見に行った。確かにカンディンスキーはごく初期の物で、本人らしい筆致もないものだった。極端に言えば誰の作品でも分からない感じ。

インドの国内でのテロ事件、国際テロ組織でなくインド国内のイスラム教徒の過激は組織の存在が明らかになったのだという。始めて知ったのだが、インド国内のイスラム教徒は低カーストからの改宗者が多く、貧しい家業を受け継いでヒンドゥー教徒との社会的・経済的格差が残っているのだという。中上流階級は独立の際にパキスタンに移住したと言うのだ。なぜ人口の13%ものイスラム教徒がインドにいるのか不思議だったのだが、この記事を読んで初めて納得した。私は今新聞をとっておらず、ニュースはネットとテレビだけなのだが、それだけでは情報が偏るなと痛感する。なるべく新聞を読もうと思う。


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