3652.JEミレイ「オフィーリア」/文学はダサいと思っていた/王監督引退など(09/24 08:58)


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堀田善衛『ラ・ロシュフーコー公爵傳説』(集英社文庫、2005)、現在292/553ページ。主人公のラ・ロシュフーコー公爵自身の活躍が始まる。彼はモンテーニュと同様モラリストとして名を知られているがそれ以外のことはよく知らなかったので、帯剣貴族としてフランドルやイタリアの戦場で戦い、またルイ13世時代は王妃アンヌ・ドートリッシュの派閥に属してさまざまな陰謀にも加担していたということは知らなかった。カペー朝成立期から続く大貴族で、新貴族たちの進出が目覚しい中手元不如意になりながら宮廷周辺で活動を続ける姿を描くには、確かに先祖の歴史から語らなければ描ききれないだろうと思った。現在はルイ14世が即位しアンヌ・ドートリッシュが摂政、マザランが宰相の時代。リシュリューと確執があった彼とマザランとの微妙な距離関係が今読んでいるところのテーマという感じ。文人としての目覚めもそろそろ、というところか。

昨日午前中、渋谷文化村のジョン・エヴァレット・ミレイ展を見に行く。目玉はなんといっても「オフィーリア」だ。この一枚は彼の名を知らない人でも見たことがあると思われる。展覧会は全体に混んでいたが、この絵の前はやはり人だかりだった。

この人の絵は、技術というよりコンセプトや画面構成を見せるところがポイントであるように思う。もちろん技術も隙のないもので、肖像画も風景画も水準以上ではあるが、この人にしかない、というテクニックや絵としての特徴が特にあると言えるかどうか。「こういう雰囲気の絵」、というのはかなり大きな潮流となってあるように思う。しかしそれは後に続く人が模倣したということかも知れず、オリジナルはこの人なのかもしれない。自分自身に集中力がなかったせいか、混んでいることもあって、一つ一つをあまりじっくりと見る気にならなかった。カタログや絵葉書は買ったが。

画面構成という面では、優れているといっていいと思う。そういう意味ではデザイナー的という感じもする。一番好きなのは「マリアナ」だ。禁欲的な青いベルベットに身を包んだ金髪の女性が腰を伸ばし、背景の華やかな色使いの館の一角。これは成功していると思う。考えてみたら「オフィーリア」もそうだ。「両親の家のキリスト」はファン・アイクを思い出した。「信じてほしい(Trust me)」などは実に洒落ている。そのほか女性を描いた肖像画はみな華やかで、この人の人気、またこの展覧会が休日とはいえこれだけの混雑になっていることもむべなるかなと思う。肖像がもうまくはあるが、西洋美術館にあるヴァン・ダイクのどっしりとした量感に比べると、どうしても物足りない。

しかし、考えてみたらこうした軽さ、しなやかさ、自由さというものが「イギリスらしさ」ということかもしれない。ミレイの作品も、どれを見てもどこかが誰かに似ている気がするのだが、それだけ自由にいろいろな作家の特徴を取り入れているということなのだろう。そういう意味では実に達者な作家で、そこがちゃんと評価されているのもイギリスならではなのかもしれない。そういう魅力を私ももっと積極的に評価するべきなのかもしれない。

帰りに銀座のメガネドラッグに寄って、先日新調しためがねを取りにいった。度は敢えて同じにしたのだが、より薄く軽くなるレンズを選択した。しかしいまいち焦点が合わせ難いな。中長距離を見る分にはそんなに支障はないが、短距離が上手く合わない。今までのもののほうが今のところ使いやすいが、まあそれはそういうものかもしれない。

午後一休みしてから神保町に出かける。一休みといっても日本ハム=ソフトバンク戦を最後まで見て、またその後相撲を最後まで見たから一休みというには長いが。いろいろと考え事をしながら何軒か書店を回り、結局買わなかった。そういえば若い頃、私は文学はダサい、アートなら非言語の美術や音楽の方がかっこいいと思っていたことを心の底の底の方から思い出した。なぜそう思っていたかというと、文学は人生を語るものだったからだと思う。別に語ってもいいのだが、って言うか私も人並みにそういうことで悩んだりもしているが、そういうことをアートに持ち込むのはあまりかっこいいことと思えなかったのだ。


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