3569.世界の見方(12/21 23:15)


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昨日帰京。引き続きあまり腹の調子がよくないので、不調。夜は早めに寝るも、寝る前にパンを二つ食べてしまったせいか、今日は朝起きてからまだなんとなくおかしい。あまり食べないようにしているのだけど、我慢しているという気持ちが強いせいか、気を抜くとついたくさん食べてしまって後で後悔する。減食しているときはいつもそういう風になりがちだ。食べるということを我慢することは、なかなか難しい。たとえ体調がかかっているときでさえ。ダイエットで心身ともに変調を来たすお嬢さんたちの苦闘が最近少しはわかってきた。あんまり分かりたいものでもなかったが。

体調が優れないもんだからどうも何も余り手に付かずに、テレビをよく見ていた。午前中は久しぶりに『新日曜美術館』をほとんど見る。今日は佐伯祐三。佐伯といえば知っていることは二つ、中学のときだったか教科書に出てきた『郵便配達夫』の絵と『ギャラリーフェイク』に出て来たブラマンクとの出会いのエピソード。その二つとも取り上げられていた。

パリで絵を描き始めた佐伯が自作を持ってブラマンクに会いに行ったら、「このアカデミーめ!」と1時間以上罵倒され続けたという話。そのショックをきっかけに佐伯の絵は全く変わったという。佐伯はほとんど風景画を描き続けたが、最後の作品だけが精神病院にはいった後に手紙を届けてくれる郵便配達夫を描いたものだったということ。佐伯の絵で、最もよく覚えているのはこの絵なのだが、どの特集を読んだり見たりしてもこの作品が取り上げられていないので不思議だったのだけど、まさか絶筆だったとは思わなかった。でもやはりそれだけのことはあるんだなと思う。やはり異様に印象に残る絵だったから。

高橋源一郎がゲストで、「画家は私たち普通の人間とは違う世界の見方をしている」という話をしていて、はたと膝を打った。確かにそうなのだ。画家だけでなく芸術家というものは、常識的でない世界の見方をしていて、それが本質に迫るものであればあるだけ、私たち鑑賞者を感動させる。いわばそれが芸術家の「世界観」だ。その世界観はさまざまなものがあり、それは場合によっては非常に問題のあるものだったりすることもあるわけで、オウム的な破壊的なもの、バモイドオキ神的な異常なものである可能性もある。やっぱり芸術家の世界観というものは場合によってはそういう電波的なものであったり限りなくそれに近かったりする可能性もあるわけなんだけど、でもそうであることを恐れていては本質に近づけないということもあるようにも思う。しかし、なんでもないものに美を見出したり、気がつかないところに美を見出したりするのはやはりその芸術かなりの世界の見方があったればこそであって、そういうことを教えられたときに私たちは世界の深さに気づくわけで、教えられることは多いのだ。

午後は高校駅伝をなんとなく見ていた。長野県代表の佐久長聖が前評判どおり優勝。いつも下馬評は高かったけど優勝はなかっただけに、快挙だと思う。

午後遅くになって、神保町に出かけることにする。外に出るともう夕闇が迫っていて、深い群青の空に雲が浮かんでいて、とても深くてきれいな空だった。その空の中に吸い込まれていくような気持ちで空を見上げながら歩く。三省堂で深井晃子『ファッションの世紀』(平凡社、2005)を買う。ファッションとアートの関係を書いてあるのだが、どうも思っていたのと内容が違う感じがする。


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