3520.手紙/いけばなの本あれこれ/腰が(02/03 09:04)


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花には儀式的な立花とくつろいだ生花、盛花といったジャンルがあるが、もともとは儀式的な立花が起源だということは、最近いろいろな本を読んで知った。しかし花を習うのは日常的な方から儀式的な方へ学んでいくので立花は最後になる。これは海野の本で知ったのだが剣山というものが出てきたのは明治以降なのだそうだ。だから江戸期からある立花と生花では本来剣山は使っていないのだ。盛花は明治以降はいってきた洋花を生け花に取り込むために小原雲心という人が作り出したと違う本で読んだ。立花はいけばなの起源、室町期から行われていて、池坊専好(二代)のときには「こみわら」というわらを束ねたものの中に枝を差し込んでいくもので、剣山と違って斜めに挿せないが、差し込む深さはそれぞれ違う、というもので技術的にも大きく違っていたのだという。読んでいるかぎりでは、川瀬は剣山などに代表される技術的なバラエティはむしろ花の命(即物的な意味でなく本質的な意味で)を弱めるものとして否定的で、こうした立花の原点に帰ることを企図しているように思われる。ある種のルネサンス的復興運動とでも言うか。

『月刊全生』2月号。巻頭の「人の顔」と題した文章の中で、野口晴哉師が「顔はただ、体の上に乗っかっている道具であるというより、人間の場合はその中心的な現象と見るべきであろう。ともかく、人間に顔があるということは面白い。」と言っていて、面白い。確かに顔って、人間的な現象だ。

午後から夜にかけて、本を詰めて積んであったダンボールを移動し、そこに黄色いソファをおいて居間の配置を変えてみた。かなり考えてやったつもりだが、少し狭い感じになってしまう。なかなか難しい。それに、移動の最中にどうも腰をやったようで調子が悪い。食べ過ぎのせいもあると思う。何とか自力で回復したいと思う。


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