これは物語や怪談、あるいはマンガなどでもよく出てくるパターンだが、その原型は複式夢幻能にあったのかと初めて得心した。ドラマ成立のパターンだけでいえば、『拝み屋横丁顛末記』と同じだ。もちろんそんな単純なものではないし深い教養のバックグラウンドと趣の深さが兼ね備えられたものだけれども、しかしそういうものだけでなくちゃんと演劇的なドラマ性があってそのことによって成り立っているのだということを初めて認識した。これは逆に謡曲を読まないとわからなかっただろう。正直謡は聞き取れないことが多いし。
しかしそれを理解できたことで、江戸時代の武士たちが教養として謡をやっていたということも理解できるし、方言の差異の著しい江戸時代末期に謡の言葉が幕末の志士たちの全国共通語として機能したという話も実感をもって頷ける。松岡正剛が謡はハイパーなメディアだというようなことを書いていたが、ようやくその意味が得心した。
まあ私も、最初は歌舞伎のセリフや長唄もほとんど聞き取れなかったのだから、謡だって慣れてくれば聞き取れるんだろうなあと思う。また機会があったらお能もどんどん見てみたいなあと思った。