2976.『ゲゲゲの女房』/本当に書きたいこと(09/04 13:16)


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『ゲゲゲの女房』が面白い。見始めたのは途中からだったが、はまってしまって必ず見るようになった。大体7時45分からのBS2で見ている。でも8時から地上波の総合で見るとそのあとのバラエティ番組の冒頭で司会の三人が口々に感想を言っていてそれも面白い。エピソードのそれぞれも面白いのだが、構成がよくできている。週ごとにテーマと言うか大きなシークエンスがあって、月曜から土曜までの6回つまり15×6=90分で大きな話が一つ完結する。今週は「スランプ」がテーマだった。来週は「父の死」がテーマになるようだ。月曜火曜あたりで色々あっても、木曜あたりから光明が見え始め、金曜土曜で解決する、というパターン。もちろん弟の死とか、明るい話ではないものもあるのだけど、でもそういう試練も週末までには乗り越えるので、明るい気持ちで週末を迎えられる。そしてまた週が変わって新しい話がはじまるのを楽しみにできる、というよく考えられた構成になっていると思う。

今週は80年代冒頭の話で、この時代の水木は仕事が減って大変だったというのは読んだことがある。そして仕事がなく、個人的にもスランプの時代に妖怪大百科的な大きな仕事を始めたというのはなるほどと思ったし、考えてみたら私はこの時代に出された『妖怪画談』という岩波新書を正続で持っているのだった。私は水木のファンであるということを意識したことはないのだけど、いつの間にか結構水木の作品はもっている。『妖怪画談』は新刊で出た時になぜかすぐ買った。多分、何かの書評で見て買ったのではないかと思うのだが、あの作品の裏にスランプがあったというのはしみじみと人間何が幸いするか分からないものだと思うしそういう時にこそ自分のやりたいこと、自分がやるべきと感じていることを徹底してやることが大切なんだなと思う。

<画像>カラー版 妖怪画談 (岩波新書)
水木 しげる
岩波書店

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新しい短編を書いてみて思ったが、私の作品には必ず文明批判みたいなことが出てくる。ときどき自分でも何かちょろいことを書いているなと思うことがあるのだけど、書き終えてみて、結局書きたいのは自分では最近あまり意識していなかったけどそういうことなんだなと思った。書き方が通り一遍になったりありきたりになったり不可思議になったり支離滅裂になったり意味不明になったりまあ色々なのだけど、どうも書きたいことはそういうことなんだなと思う。考えてみれば諸星大二郎が好きだったり近藤ようこの中世ものが好きだったり、トランシルバニアの民話だのハンガリーの民話だのをよく読んでいたのはそういうつながりだったのだなと思う。

そういうふうに、どちらかと言うと周辺から中心を攻める、という方向で色々なものを吸収していたのだけど、いつ頃からだったかそういう「農村が都市を包囲する」的な方向性だけでは中心を攻め得ないという気がして来て、意識して中心の乗りこもうとしたのがフランス革命研究を始めたきっかけだったはずだったのだ。それは民主主義批判という意味が強かったのだけど。

しかしまあ文明の中心と言うのは一筋縄ではいかない。色々な潮流が現れては消え、ガチンコでぶつかり合って優劣が分かれたり、ありとあらゆる人間的な現象の中で文明は大きくうねって時にとんでもない方向に鉄砲水のように進んで行ったりする。文明批判というのはその中でエコロジズム的な方向性もあればスピリチュアル的な方向性もあり、イマジネーションの世界からの反撃もあればポストモダン的な方向もある。尖鋭な方向性を持っていたものがいつの間にか文明の補完に堕すこともあるし、文明の方向性の主導権争いの中である種の邪悪さが文明を席巻したりすることもある。またそれに対抗して文明の権威権力総動員でそういうものを潰したり。文明の中心は常にダイナミックだ。そういうものこそが本当のオカルトなんじゃないかという気もする。


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