2931.塩野七生が叩かれる理由(04/04 20:48)


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ちょっと大き目の急ぎの事務仕事が昨日の午後一段落し、そのあとはちょっとほっとしていた。妹とその子どもたちが少し前から来ていたのだが、子供というのはやはり見ていると面白いなあ。妹は小学校の先生なのだが、育休を取って三人の子どもの子育てをしている。みんな丈夫ですくすく育っていていい感じだ。

今日の午前中は松本に出かけて、午後一休みして大仕事。それもつつがなく終わり、その後の仕事はぼちぼちと。新しい仕事の問い合わせもあり、それなりに動いてはいる。

<画像>ルネサンスとは何であったのか (塩野七生ルネサンス著作集)
塩野 七生
新潮社

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暇な時間を見つつ塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』読了。最後の三浦雅士との対談が面白い。三浦雅士は最近、私の中では『ダンスマガジン』の編集長でありバレエ評論家なのだが、昔は『ユリイカ』の編集長だったのだからやはり文芸評論家なのだ。

この対談を読んで思ったが、塩野七生が文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれる存在らしい、ということは薄々知らなくはなかったが、実態はかなり酷かったのだなと思う。塩野自身はずっとイタリアにいたからわれ関せず、という風情だったようだが、日本にいたら相当きつかっただろうと思う。いくら叩かれても全然めげないから叩く側はよけい憎悪を募らせていたんだろうけど。なんかこういうところは日本人の本当につまらない情けない部分だなと思う。

塩野によると、デビュー当時は哲学なら田中美知太郎、歴史学なら林健太郎、会田雄次といった大先生方に認められていて彼らがいる間は大丈夫だったのだが、80年代から90年代にかけて、その下の世代が学会に主流になったら大変だったのだという。『マキャベッリ全集』を出すので月報を書いてほしいと依頼が来て、OKを出したら訳者の学者たちが塩野が書くなら我々は書かないと言い出して、結局塩野が降りたのだという。またNHKでウフィッツィを取り上げるときに案内役をしてくれと頼まれてこれも引き受けたら、ルネサンス関係の学者たちが塩野が案内役なら自分たちは以後協力しないと言い出したのだそうだ。あまりのケツの穴の小ささに腹を抱えて笑い飛ばしたくなる。(卑語失礼)

これに関して三浦はこう分析している。

もちろん潜在的には、嫉妬とかそういう問題があるかもしれない。しかしそれは余分な話だから横に置くと、はっきりといえることは、マルクス主義が影響力を持つ時代が終わってしまって、学者としてのアイデンティティが研究方法の次元で問われる時代に突入した。結局、そのアイデンティティは研究のディテールに認めるほかなくなってしまった。だから、研究対象をなるべく細分化して、他の領域には手を出さないという、一言で言ってしまえば、タコツボ型がはびこったということだと思います。

これは、ルネサンスとかローマ史とか、つまり学者自身のイデオロギーがほとんど問われない分野においては全くその通りだと思う。近現代史ではまだまだマルクス主義とは言わないまでもイデオロギー的な部分が幅を利かせているが、それ以前の歴史学では趣味オタクの世界に近づきつつある一面は否定できない。そうなるとオタクの特性であるディテールへの異常なこだわり、異分子への排他性などが悪い形で噴出し、実社会においてもてはやされる塩野七生など最も叩きごろの存在になるだろう。

もう一つ三浦の指摘で面白いと思ったのは、塩野が小林秀雄の影響を受けているといっていることだ。塩野自身は「?」という感じだが、小林が「歴史は神話である」、と言っているのを受けて塩野が「歴史は娯楽である」と言っている、と三浦は解釈しているわけだ。

小林の言わんとするところは、結局歴史は人間なのだ、しかし、人間だけではない、神話を人間は必要とする、ということだと三浦はいう。そしてその人間が必要な神話と言うのは、つまりは娯楽なのだ、というわけだ。人間は生きた人間の話を必要とする。それが神話であり娯楽なのだ、というわけだ。


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