29.東大のDEI声明と学術会議問題に共通する懸念/「インテリ病」と「地に足のついた知性」/勢いのある政党に群がる難あり候補者たち/町おこしに必要なもの:中標津モデル/自分の本分を考える(05/16 07:50)


< ページ移動: 1 2 3 >

5月16日(金)曇り

昨日は時間があったはずなのだが、いろいろとものを考えたりしていたらあまり時間がなくなってしまった。お昼前に急いで車でクリーニング屋に行ってワイシャツを出し、ワイシャツとセーターを引き取って、そのまま西友に走ってお昼の買い物など。買うべきものが結構あるはずなのだが思い出せず、思いついたものだけ買って、ついでに併設の百円ショップを見て付箋を一つ買った。自分の頭の中で103円だなと思っていたのだが無人レジでバーコードを読ませると110円で、そうだ消費税率は10%だった、と思う。頭の中で時々古い税率になっている時があるのだが、5%や8%ではなく3%が出てくるのは、それが最初の消費税率だったからなんだろうなと思う。

帰ってきてお昼を食べて少し横になったら眠ってしまった。どうも最近疲れが出ているのと、少し前にも書いたが低潮期なんだろうと思う。

***

東大総長のDEIに対する声明について思ったこと。

https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/z1304_00125.html

DEIというのは最近ポリコレに変わってよく言われるようになってきた言葉で、元々はアサシンクリードシャドウズの問題でフランスのUBIソフトが織田信長に仕えた弥助を黒人侍としてヒーロー化することに日本のゲーマーその他が歴史改変だと異議を唱えたときに、UBIソフトの特徴として挙げられていたのがこの言葉だったから、基本的にあまり印象が良くない。

意味としては「Diversity, Eqity, Inclusion」つまり「多様性・公平性・包摂性」という一見良いことのように見える言葉であるが、ヨーロッパやアメリカが移民政策で失敗して社会が分断化されていることや、性的多様性の問題でフェミニスト内部でも分裂が起こったように、問題の多い概念でもある。これは個人の信念としては必ずしも悪いことではないけれども、それを推進する運動家たちが社会の実態を無視して強引な政策を強要したり社会的な合意が形成される前に社会を変革しようとしていることに大きな問題があるということは言える。

大学など学問の場においても、公平性という観点から見ても女子枠などを設けることによって男子学生や男性研究者の未来を断つような施策が行われており、抗議運動も行われている。少子化に伴う研究予算や大学予算の削減の中で特定の集団を優遇することがそれ以外の人々にどれだけダメージになるかを大学当局は理解していないか理解していても無視しているのだろうと思う。

そのような政治的で不平等なやり方が本当に学問の進展に寄与するものなのか、一度立ち止まって考えるべきだし、声明にもあるように「世界的に行き過ぎに対する見直し」の動きが起こっている中でそれを「逆風」と表現し、あえて強行突破しようという姿勢は評価できないと思う。

これは日本学術会議の問題にも共通するが、こうした学問や大学の問題が無駄に政治的な左右対立に持ち込まれるのは良いことではない。日本学術会議が戦後の創立の時から日本共産党の大きな影響下に置かれていたことは誰でも知っていることであり、そうした政治的な影響を排除することは必要なことだろう。法人化がどのように進められどのように結果するかはまだわからないが、本当の意味で公正中立であり、なおかつ国家と国民の公共の福祉に資するような学術団体に生まれ変わってもらいたいものだと思う。

***

これと関連することだが、「インテリ病」という言葉がある。インテリとは知的職業についている人、あるいはその予備軍やワナビーもしくは引退者ということになるだろうが、最近は高齢化の影響で引退者の勢力が強くなっている感じはある。ただこの「インテリ病」というのは概ね「社会の実態(産業的なものや人生の深みなど)に関わることが少ないのに知性万能主義に陥り、社会を評価したり構想したり上から目線で語りまた冷笑するだけで実際には何もできない人々」みたいな感じで言われることが多いように思う。

ネットでこの言葉を検索すると最初に出てくるのが弁護士出身の政治家である橋下徹氏の発言であるのは印象的で、もちろん彼は自分がそうしたインテリ病には陥っていない、と考えているのだろう。彼の政治的な実行力をみてもそういう「本音としての大阪市民・大阪府民の思い」を汲み上げるのが上手だったと思うので、「本音を語れないのがインテリの弱点」ということも指しているのだろうと思う。

これは先に書いた東大とDEIの問題にも関わるが、DEIというのは実質的にはある思想・ある運動として推進されているので非常に政治的なものであり、それを推進するということは「ある種のカルトの主張」を推進することに近いものがあることに注意すべきである。それだけ大学という場所の政治化・特定思想の汚染が進んでしまっているということでもあるが、ウェーバーのいうところの価値中立的な規範が実際には今強く求められているように思う。


< ページ移動: 1 2 3 >
29/5495

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21