だからこの問題はつまり、日本社会の根底にある「甘えの構造」、「無責任の構造」を反映した事件だったのだろうと思う。米軍の軍事力に支えられて繁栄を謳歌する与党、与党の政策力を前提として与党の批判によって人気を得ようとする野党、自立よりも解放を求めるフェミニスト、コンテンツの力を原作者に丸投げし、それでいて十分に原作者に表現させずウケ狙いとカネ儲けに邁進するメディア企業、そういうものの積み重ねがこの事態の背後にはあるのではないか。
自立の物語を描きたかった原作者と、解放の物語で売りたかった製作者たちの対立。とりあえず私は今の所事態をそのように整理している。
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南箕輪村に行った話をして地方議員経験者から聞いた驚きの話なども書きたかったのだが、とりあえず日を改めて書こうと思う。