26.東大工学部で英語授業:時代遅れの新自由主義政策/「羽柴秀吉とその一族」:現代に続く血筋/2拠点生活は片づけも2倍/国民民主党の夢の終わり(05/19 10:02)


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5月19日(月)曇り

昨日は午前中実家の家の中のことをいろいろ片づけてから車で出かける。地元のセブンでコーヒーだけ買って裏道を通って高速に乗り、普段なら八ヶ岳PAに入るのだが、ちょっと変な形でタイミングが合わずそのまま走ったために、久しぶりに双葉SAまで行った。トイレに立ち寄ったのみだが。それから近いけれども境川PAまで走り、トイレに行ってソースカツ弁当を買った。この辺は最近の定番である。もう一度石川PAでトイレ休憩して中央道からそのまま首都高に乗り帰宅したが、昨日はスイスイという感じだった。やはり遅くても日曜は午前中に出る感じで行かないとと思う。到着は1時ごろ。弁当を食べて少し休憩。

ノートやリマインダーアプリを見てそういえば黄瀬戸の皿を探していたんだということを思い出し、いろいろ棚を探していたら書類をたくさん突っ込んである押入れの上の方にリボンをかけた桐箱を見つけ、ああこれだなと思って出してみたらそうだった。これは数年前に丸善のオークションで買ったものだけど、普段五客は使わないから一枚だけ出してあとは仕舞ってあったのだ。ある場所が確認できればよいのだけど、それにしても家の中を整理しないといけないなと何百回目かのことを思う。

しかし実際のところ整理しても置く場所がないというのが本当のところで、それならスペースのある実家の方に持って帰ればいいかとも思ったが、そう考えると今度はそこまでして保存するべきものか?という疑問も出てくる。つまりは捨てるか整理するか決められなかったものがそのまま残っているということなんだよなと思ったのだけど、そのへんも考えないといけないなと思う。探している本もなかなか見つからないのだが、以前ならこの辺の分野のものはこの辺にある、というのは大体覚えていたのだけど、今は実質2拠点生活というか、自宅と実家、それに職場と作業場と実家の方でも何カ所かに分散していろいろなものが置かれているので探すべき場所が増えてしまっている。2拠点生活というといいことみたいだけど、整理する場所が2倍になるということなのだなというのはあまり考えていなくて、そういう生活に付随した仕事が増えることは考えておかないといけないなと思った。

それから2拠点生活の弊害みたいなもののもう一つは、2拠点の間を往復するので違うところに行くのが億劫になるということもある。以前は結構旅行もしていたのだけど最近はかなり面倒くさくなっている。まあそれはインバウンドなどでホテル代などが高騰しているということもあってコストもかかるということもある。行ってみたいところもいろいろあるのだが、もともと2拠点になっている最大の理由は介護ということもあり、そうは実家を空けられないということもある。

ただいずれにしても自分の居る場所を快適かつ生産的な場所にしないことには自分のしていこうと思っていることもやりにくいことは確かなので、その辺のところは整備していかないとと思う。

溜まっていた郵便を少し見たらガス代が落ちてないという通知があり、郵便局の口座に資金を補給しなければと思って、図書館に本を返却に行くついでにセブンでお金をおろした。ナショジオのナイジェリアの本とナイジェリアの民族音楽のCD、久しぶりにぜんぶちゃんと読んだり聞いたりしてから返却できてよかった。郵便局の本局まで行くのは少し遠いのでファミマで入金。預入でも手数料がかかるのはまあアレだが仕方がない。近くの地下鉄の駅まで歩いて電車に乗り、大手町に出て丸善に行った。

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かおうと思っていた本は2冊あったが、「沖縄決戦 高級参謀の手記」(中公文庫)の方はなかったのだけど取り寄せはできそうだったからまた考えることにし、黒田基樹『羽柴秀吉とその一族』(角川選書、2025)を買った。それからどこかに行こうかとも思ったがなんだか疲れていたので地元の駅に戻り、スーパーで買い物をして帰宅した。

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『羽柴秀吉とその一族』読み始めたが、いろいろと面白い。秀吉の兄弟が姉の日秀、弟の秀長、妹の朝日の3人であることは理解していたが、この日秀という人についてあまり知らなかったのだが、この人は関白秀次をはじめとした3人の息子の母だったが、秀次は切腹させられ、秀勝は朝鮮で陣没し、秀保は大和で不可解な死を遂げて、母より早く死んでしまっている。そして秀次事件を生き残った孫娘が大坂夏の陣に関連して処刑されるなどしている。高台院(ねね)の亡くなった翌年の寛政2年に90歳を超えて死去しているので、秀吉の兄弟では最も長生きしたことになる。

日秀の境遇を憐れみ、出家の際に後陽成天皇から彼女の暮らす瑞竜院に1,000石が下賜されたためこの寺は尼門跡になり、日蓮宗唯一の門跡寺院になっているという。


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