2.文系アカデミズムの魔力/古神道研究と様々な方向性(03/25 08:11)


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3月25日(土)雨

2月から3月にかけて、これまではあまり雪も雨も降らなかったのだが、このところよく雨が降る。天気は人間にはどうにもならないことだけど、気持ちも上がったり下がったり、スッキリしたりどんよりしたりはする。ただ、今なんとなくスッキリしているのは、雨だからではなくて心の持ちようなんだろうなとは思う。心も、意思でなんとか維持しようとしてできる部分と、どうにもならない部分はあるが、まあその辺もまた人間をやってるある種の醍醐味でもあるんだろうなと思う。

村上 重良
岩波書店
2019-10-24

 

村上重良「国家神道」読み始めた。最初は左翼バリバリの「国家神道」「近代天皇制国家」みたいな言葉遣いで読む価値あるのかなと思いながら読んでいたのだが、宗教の類型分析などアカデミックな部分になると、最初はこれも古い分類わけなんじゃないかなと思いながら読んでいたのだが、だんだん面白くなってきて、なるほどこれがある種の文系アカデミズムの魔力なんだなと思い始める。

恐らくは、何も知らないまっさらな状態で読み始めたら、一生懸命理解しようとして読んで、それでアカデミックな分析の魅力に捉えられたら、なるほどと感動して、著者の言っていることが全部正しいと思うようになる刷り込みが起こるんだろうなと思った。そういうのがあるから、古色蒼然とした左翼的文系学者が再生産されてしまうのだろうなと思う。

しかしまあ、例えば小室直樹や渡部昇一にしても、アカデミックな部分があるから説得力があるわけで、その説得力によって信奉者が再生産されるということにおいては同じなんだろうと思う。そういう意味では積み上げられてきた文系諸学、人文学アカデミズムというものは侮れない。ジェンダーだのカルチャーだのスタディーズ系にはそういう積み上げがないから、最初からどっぷりイデオロギーに浸かってしまい、他の分野の人たちと言葉が通じなくなってしまうけれども、ちゃんとしたアカデミズムの積み上げの成果は、ある意味その学者がどんな思想を持っていても誰にでも利用可能になるわけで、その辺のところをこの本を読んでいて改めて感じた。

私は歴史専攻なので、どちらかというと事実の積み上げというか史料批判的なところに注目して読みがちなのだけど、宗教学などにしても理論構築の面白さがあって、その辺は歴史はやりすぎると唯物史観とかある種のトンデモになる恐れがあるから怖いけれども、ただ認識の枠組みを作るという点では理論構築は欠かせないわけで、時系列的な捉え方が必要な学問とある種空間配置的な理解の方が重要な学問とではその理論構築も方向性が異なってくるなと思った。

私も保守について考えていると、自分が歴史専攻なのでどうしても時系列的な方向で考えてしまうのだけど、実際の保守の構成要素みたいなものを考えて平面的に捉えてみると今まで見えてないものが見えてくるところもあって、自分の中の世界を広げながら描く楽しみがあるが、読み物としても面白く、またアカデミックにもある程度の水準があり、それでいて思想の本であるというレベルに持っていくように考えているので、日々勉強だなとは思う。




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