17.日本の知の世界、特に人文学をいかに復活させるか(11/23 09:53)


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江戸時代には、代官や幕府役人のレベルで「名君」であろうとする意識は強く持たれていた(全てということはないが)し、危機意識と改革意識が開明派大名だけでなく中下流の武士を中心に共有されていたことは明治維新を成功させた大きな要因だっただろう。

明治以降も藩閥から自由民権、官僚制度の伸長とエリート学校の設置による指導者意識の高い層の養成などに成功し、それなりに意識の高さを持って国家が運営されていったが、陸海軍の組織の政治不介入の規制が
強すぎて、返って軍が突出することになってしまった。

高度経済成長は結局は戦前に教育を受けた人たちが成し遂げたものなのだが、戦後生まれ世代が政権中枢を担うようになった平成以降、なかなかうまく進んでないのは戦後教育に何か足りないものがあったというのは事実なのだろうと思う。

学問においては、人文学においても自然科学においても工学などの分野においても日本では欧米諸国よりスタートは遅かったものの、着実に成果を積み重ねてある程度以上の文化的集成を成し遂げたと思う。社会科学分野においては評価が難しいところはある、特に明治憲法体制での国家組織の機能不全を解決できなかったという大きな問題はあるのだが、高度成長を成し遂げたことや日米安保体制で国家の安全保障をそれなりに確保したことは社会科学のある程度の成功と言えなくはないと思う。

ただ憲法と社会組織においてマルクス主義の影響がかなり強かったことは社会科学に暗い影をもたらしたことはあるかもしれない。

これは日本においてのみの問題ではないのだけど、人文学や社会科学系の学問が大きく損なわれたのはいわゆる「言語論的転回」が大きな原因だったように個人的には思う。人文学のような蓄積を重視する学問体系がその基盤を揺るがされたのは言語論的転回が大きかったように思う。これにより人文社会系ではポリコレやフェミニズムなどのイデオロギー的主張の強いものが幅を利かすようになり、保守的な立場の学者はアカデミズムに場所を占めにくくなり、折からの大学改革と重なって、多くのものが失われたように思う。これは人文系の学問のある種の自殺だったのではないかと思う。今木簡系の学問などという揶揄が広く行われるようになってしまったのも、そうした学問の基盤を揺るがすような言説の影響が強く働いているからだと思う。

特に人文系に大きなダメージとなったのが出鱈目に書かれた論文が高く評価されるという「ソーカル事件」や、フェミニズムの学者が史料批判重視の実証史学を批判して、史料に現れない歴史を書くべき、みたいなことを言い出して実証史学の側が膝を屈した、ようなことがあったりしたことだろう。それは旧来の権威の批判みたいな左翼的な意味はあっただろうけれども、現実には人文学に対する社会からの評価を著しく下げてしまって、自然科学のみが正しい、というような方向に舵を切られるきっかけになったように思う。

現実には保守的な意味での人文学の価値は本当は全く損なわれていないのだが、それらの社会的評価が下げられたことによって有為な人材が集まりにくくなり、またそうした人材がなかなか安定した職に採用されにくくなって(運動系の学者が自分の仲間を職に呼び込むシステムを作り上げたためだろう)しっかりした見識のある人がいつまでも非常勤という状態になってしまっている。こうしたこともまた人文学の社会から見た価値を下げている大きな要因であり、こうした状態は改められるべきだろうと思う。

政治においても一般社会においてもなかなかこういう人文学の世界の惨状をいかに改革すべきかという課題は見えてこないものではあるなと思うのだけど、日本が今遅れを取り、またこれからも遅れをとる可能性が特にあるのは、もちろんイノベーションという問題もあるが、人文学という人間的な部分を支えるべき学問が弱いことではないかと思う。

イスラエルやロシア、北朝鮮などもめちゃくちゃな論理で自分たちの正当性を主張していたりするが、それらの欺瞞性を看破し、議論を正道に戻すのも本来は人文学が働くべき部分があるはずだと思う。ゼレンスキーがその教養と才気を渙発させた演説によって世界の支持を得、ウクライナを今まで持たせているのを見るにつけて、こうした知の力で日本を守れる政治家をどれくらい日本は育ててきたかと思う。

それは政治家個人の問題ではなくて、日本の人文学の世界と、またそれを支える国家社会全体の責任だろうと思う。


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