16.イスラエルで差別される中東ユダヤ人とネタニヤフ政権の強硬政策/弁論術とネットバトル/岩波新書と教養への憧れ(11/24 06:39)


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セファルディムは地中海系のユダヤ人と言われ、ローマ世界からイスラム世界で広く生き残ってきた人々全般を指すようだ。私が認識していたのはスペインのレコンキスタの際、ユダヤ人もイスラム教徒がアフリカに退却した際に同時に追放された人々と、もう一方ではカトリックに改宗してスペインやその支配地であったフランドル・オランダに移住した人々のことで、例えばスピノザなどはその系譜である。彼らはコンベルソ(改宗者)あるいはマラーノ(豚)などと称され、彼ら独自の伝統を持っていて、ただアシュケナジムのような宗教的体系は持っていなかったのでヨーロッパのユダヤ人社会の中でもより劣位に置かれた、というようなことを読んだ覚えがある。

ミズラヒムというのは大きく言えばこのセファルディムの一部なのだが、ヨーロッパでなく中東イスラム社会に残ったユダヤ人のことを指す。よく知られるようにイスラム世界では基本的にユダヤ人はキリスト教徒と同様「啓典の民」として信仰を維持することを許されていたから、近代まで多くのユダヤ人がイスラム世界に住んでいて、特にイランではその人口が多かったと言われている。その広がりは予想以上に広く、中国の宋の時代には首都開封にユダヤ人が住んでいて、この開封ユダヤ人は中華民国の時代になってもまだ子孫がいたようである。

シオニズムの運動によって多くのユダヤ人がパレスチナに居住するようになり、イスラム教徒のアラブ人=パレスチナ人と対立するようになったが、第二次大戦後のイスラエル建国により、それを認めない周囲のアラブ系国家を中心とするイスラム教国との間に数次にわたる中東戦争が起こった。その被害をもろに受けたのがこれらの諸国に住んでいたユダヤ人たちで、多数派イスラム教徒から強い迫害を受けるようになり、追い出される形でイスラエルに移住してきた人々がセファルディムの中でもミズラヒムと言われるようになった、ということのようだ。

彼らはユダヤ人であってもアラブ系の影響を強く受け、アラビア語系の言語を話すとともにアシュケナジムとは違った宗教観や習俗を持っていて、多産系であったため、イスラエル社会でも一度に大きな人口を占めるようになった。「白人系」のユダヤ人たちは彼らを「遅れた人々」と見做し、彼らの宗教観や習俗を捨てさせて自分たちへの同化政策を強制する、というようなこと、端的に言えば差別とも言えることがイスラエル建国後に行われたようだ。この辺りはまだ昨日知ったばかりでどこまでが妥当なのか自分的には慎重なのだが、「白人イスラエル人によるパレスチナの植民地化」という観点から見る見方も存在するのだなと思った。これはおそらくは日本赤軍のグループなどの思想とも関係するのだと思うのだが、とりあえずそういう見方もあるということは書いておこう。

ミズラヒムの存在を考えの範疇に入れて考えてみると、今まで見えていたイスラエル社会の構図がかなり違って見えてくるということもある。イスラエルの総人口940万のうちパレスチナ人が200万人いて、みずらヒムは460万人いるということなので3分の2はアラビア語を話せるということになるというツイートを読んだ。ただ、ミズラヒムの多くは故地でイスラム教徒から迫害を受けて移住してきているので反イスラム・反アラブの感情が強く、右派ポピュリズムの大きな支持基盤となっているということだった。

もちろん彼ら自身にも多様性はあるだろうからその存在をどう考えるかはもっと調べる必要があると思ってはいるのだが、要はイスラエル社会にはまだ自分が知らないことが多いなということを確認したということではある。ネタニヤフ政権が強硬であるのは彼らが背景にあるということはあるだろうけれども、人質にされたのはどちらかというと世俗派のユダヤ人が多く、戦闘中止により人質解放を求める人質家族とはネタニヤフはあまり会わないという報道もあったから、この件を奇貨としてガザ地区再征服を目指しているのではないかとも受け取れ、この辺りをアメリカがどう考えているのかとか、その辺も調べないといけないなと思ったのだった。

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もう一つ書こうと思ったのは弁論術のことなのだが、今読んでる本の一つに向坂寛「対話のレトリック」(講談社現代新書)があり、ここではアリストテレスの「弁論術は「何が事実であるのかをはっきりとらえ、また他人が不正な議論をしたときに反駁できるために身につけるもの」、という言葉があって、イスラム研究者の池内恵さんが日本保守党界隈の多くのアカウントとTwitterでバトルをやっているのをみるにつけ、この言葉は実に今日的に重要だなと思ったのだった。

「手足を使ってわが身を守れないことは恥ずべきことなのに、人間にとって身体を使うことより本来的な言論によって身を守りえないことが恥ずべきことでないとしたらおかしなことだ。」アリストテレス「弁論術」など、このことについていろいろ考察して書きたいこともあるのだが、時間がないのでまた後日にまわしたい。

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