15.先崎彰容「新・富国強兵論」を読んで「自由」や「死者との連帯」について考える/マイナス10.9度/中年のくたびれた男性と若い女性のカップル(01/26 08:15)


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1月26日(木)晴れ

今朝の気温はマイナス10.9度。定かではないが、おそらく今季最低気温だろう。二十四節気では大寒、七十二候では水沢腹堅。いかにも寒そうな言葉が並んでいる。まあ、1年で一番寒い季節だと言っていいのだろう。寒いのはだから暦通りだといえばそうだ。

作業場の水道が凍結し、トイレも薄氷が張っている。まだ毎日来ているからこの程度で済んでいるが、数日空けたりすると溶かすまですごく大変になる。以前はバーナーで溶かしてもらったこともあったが、最近はそこまでは冷えないから自分でなんとかできるのだが、寒い時にはいろいろなところで不具合が発生しやすい。電気湯沸器のスイッチが入らないのでストーブで温めてからセットしたのだが、中を見たら大きな氷が浮いていた。

毎日これといった用事があるわけではないのだが、1月末が期限の書類というのが割とあって、そういうのを片付けたりしているうちにいつの間にか時間が消えているという感じ。昨日は仕事関係の書類をふたつ銀行に出して年末調整の書類の市役所に出す文を出しに行き、仕事場の蛍光灯の修理の部品をホムセンに買いに行って修理し、ついでにパナソニックのBD-REを10枚組2セット買った。品切れのところが多いようだけど、ホムセンは穴場だったのかもしれない。とりあえずこれしばらくはもつが、BD難民が今後何を使う方向にいくのか動静を見ておかないといけないなと思う。

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それから「スーパーの裏でヤニ吸うふたり」の2巻が出たのでビッグガンガンと一緒に買ってきて読んだのだが、この間読み返していた「社畜と少女の1800日」のように「中年のくたびれた男性と若い(高校生または20代)女子」というパターンの話がいつの時代も一定需要があるのだろうなと思う。作者は男性だけでなく女性もあるのだが、少し前の連載でいえば月スピから週スピに移って連載された「恋は雨上がりのように」もそうだった。「雨上がり」は結局女性側の恋情を若い時の気の迷いみたいな話にしていてラストがあまり納得いかなかったのだが、その辺はポリコレ的なものが厳しくなってきた背景があったのかなと思ったりする。

「社畜」のラストはそういう風潮に敢えて異を唱える形になっていて良いと思ったが、相当ポリコレに配慮していて成人(それも20歳)になるまで関係を持たないとかまあちょっと聖人君子すぎるんじゃないかという感じもあった。「ヤニ」は女性の方がタバコを吸っているくらいだから成人女子なので特に問題はないのだが、他の2作と違うのは45歳の男性が超純情男子であるところで、まあこれはある種女性側の欲望の反映なのかもしれないなと思ったりした。

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昨日は文藝春秋の2月号で先崎彰容「新・富国強兵論」を読んだ。先崎氏は保守の論客の中でもタイムラインで時々見るので一度何か短いものを読んでみようと思っていたのだが、この文章は文芸誌で20ページなので手頃感があった。

印象に残ったことをいくつか。「令和の富国論は新自由主義に懐疑的であるべきであり、令和の強兵論は米中対立に必ずしも左右されない独自の防衛政策と外交秩序を目指すべき」というのが目を引いた。一見してもっとも、というか自分の考えも簡単に表現すれば似たようなものになるなと思うのだが、一見するとそういう方向性での理想論を言っているだけのようにも思える。しかしこの先を読んでいくと「新自由主義」というのも竹中平蔵氏的な冷酷な市場原理主義のことだけを言っているわけではなく、「独自の防衛政策と外交秩序」というのも自分があまり考えてなかった提案があって、後になって賛成するかどうかはともかくへえっという感じはあった。

特に、「デジタル田園都市構想」を新自由主義の最たるもの、とする見方にはへえっと思った。まあ湾岸のタワマンやドバイやシンガポールへの移住というようなものに象徴されるのが新自由主義的な成功の人生観だと思っていたから、五島昇に始まる東急の都市開発や大平正芳が持っていた割とグリーンぽい構想の方向に「新自由主義」があるとは思わなかったのだが、これは「分散」と「集中」というキーワードで切り分けると集中の方向ではなく分散の方向、国家や社会のためにではなく個人の自由のためにという方向になるから、個人は公に対する意識を失い、国の力を弱める方向にある、という指摘がへえっと思った。

なんというか、国家の目的は個人の自由を高めることにある、みたいな思想もあるわけで、それは国家そのものが個人の自由の足枷と考えるリバタリアン的な方向性とは違うが、国家が再分配によって所得の低い人たちの行動の自由を支援するというニューディール的な意味でのリベラリズム(日本は旧共産主義・社会主義系の人たちがリベラルを自称しているので自由というより平等重視になりがちだが、アメリカのリベラリズムは「自由においての平等」を目指す方向にある)には考え方が共通するところはあるなと思った。


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