全ての運動がそうだというわけではないけれども、少なくとも運動している人たちには自分たちのやっていることが本当に当事者の人生のプラスになっているのか、自分たちの運動が自己満足や自己欺瞞に陥っていないかなどは常に自問自答してもらいたいと思うし、それが「自分のやりたいことに対して真摯であること」ではないかとは思う。
こうした運動はフランス革命やナロードニキの時代からずっとそうなわけで、当事者を忘れた運動はかえって害悪をもたらすことは少なくない。そして運動というものは始まってしまうと運動の論理で進んでしまうので、当事者は置き去りにされがちになってしまうこともまた心に留めておいた方が良いことだろうと思う。
「ブルーピリオド」は本当に書くことをインスパイアされる作品なのだけど、しらばく読めなくなるというのは残念。ただこれだけの熱量を注ぎ込んで中断前のラストを描いてもらえたことは、本当にありがたいと思う。広島編=真田まち子編というのの位置付けが最初はよくわからなかったのだけど、ここにきて本当にその意味の深さがわかった気がする。再開を楽しみにして待つと共に、また何度か振り返ってここまでの部分を読み返したいと思う。