忙しいのと、精神的に余裕がないのが重なると、日常が荒れてくるのと仕事に思いも掛けないところに粗雑さが現れてしまうのが困ったことだなと思う。誰かにいろいろ手伝ってもらうには金にならないことが多すぎるし。
今何冊かの本を並行して読んでいて、太田康夫「スーパーリッチ」(ちくま新書)が読みかけなのでこれを読み切って感想を書こうと思っていたのだが、なかなか興味を惹かれることが多くてすぐに感想というところに行き着かず、さてどうしようと思って一昨日に買った岩波文庫のデイヴィッド・ヒューム「市民の国について」の冒頭の政治論、「勢力均衡について」を読んだのだが、これも当然だけどすぐに感想を書けるというほど容易いものでもない。
ただ、これは実際の当時のイギリスの政治論・国際関係論であって、オーストリア継承戦争をめぐる政治状況がある中で、出版されたのは1752年なのでそれまでの状況が念頭に置かれているわけだけど、当時の国際政治の一つのテーマとして「勢力均衡 Balance of Power」があり、これが絶対主義時代というかアンシャンレジームというかつまりは18世紀ヨーロッパにおいて一つの大きな関心であったということがよくわかる。
これはまだ「フランス革命」という全く革新的な、王朝世界であったヨーロッパを揺るがす出来事が起こる前なので、ある種冷静にイギリスにとっての損得が議論されている。最初に議論されているのは勢力均衡概念が古代にも存在したのかということで、当時の教養としては常に古典古代と比較するのがまず最初にやるべきことだったからそれはわかるのだが、圧倒的な存在であったローマ帝国のあった時代にはそれはあまり意味がなく、そのために人々は古代にはこの概念がなかったと思いがちだが、ギリシャのポリスには明確にその概念が存在したということを説き、決して新しい概念ではなく、「常識と明察」に基づくものだから当然あったのだと言って、つまりはこの概念の普遍性・重要性を主張している。
一方でそれに対峙する、つまりヒュームが批判しているのはイギリスが軍隊を派遣するときに「熱くなりすぎる」、もっと早く同じ条約を結べたのに戦闘を長引かせて国家の借財、財政赤字を増大させ、固定化させている(短期公債を長期公債にしてしまっている)ということで、「我々(イギリス人)は真の闘士です」と同胞を持ち上げながらその行き過ぎを批判している。
こういう政治論の書き方はなるほど面白いなと思うし、勢力均衡という考え方が平和のために(無駄な財政支出をしないために)重要だという主張になる。
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