11.応援と自信/「保守」は何を「守」り何を「行く川の流れとして見守る」しかないのか(01/30 10:48)


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1月30日(月)晴れ

昨日は朝の特急で東京に帰り、午後出かけて夕方丸善の日本橋店と久しぶりに八重洲ブックセンターもまわって神仏習合の本を探したのだが、どうもこれというのがなかったので今日は図書館に行って本を見てみようと思う。

東京はもちろん郷里に比べると気温は高いのだが、何というか風が冷たい。昨日は昼ご飯はローソンで買ったのだが夜はどうしようかと思ったが、高島屋のデパ地下で買って帰った。

土曜の夜も3時間くらいしか眠れなかったが、昨夜も2時間くらいだろうか。まあ考えることが多くなると最近すぐそういう感じになるな。

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昨夜寝る前にコンビニにジャンプとスピリッツ、ヤンマガを買いに行って眠れないまま読んでいたのだが、読んでいても眠くならず、「GIANT KILLING」の単行本を15巻当たりから30巻当たりまで読みなおして、やはり感動した。この作品はプロサッカーチームの監督のが主人公だが、もう一人の主人公がビビりの天才プレイヤーで、チームや彼らをめぐるストーリーがたくさん織り込まれているしスポーツ観や人生観みたいなものもつぎ込まれていてとても感動するところは多い。

モーニング連載だが、最近掲載が滞っている。なんというかジャイキリでないと供給されないもの、みたいなのがあって、その一つのテーマが「応援」。プレーする選手たち、作戦を立てゲームを指揮する監督やスタッフだけでなく、クラブの職員やサポーターグループの問題、記者たち、チームの本拠地である町の人々、大きな視点で語られている。「応援」とそれに答える選手たちに現れる「自信」、文字通り自分を信じてやり抜くこと。憧れや感動、向上心。克己心というと抹香臭いが、「自分を超える」というと新しい感じ。そういうものがこの作品にはある。

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「修養の日本近代」読んでいる。印象に残ったところ。

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明治後期の成功を求める青年たちの間で読まれていたの村上俊蔵の「成功」の元になったアメリカの雑誌が「SUCCESS」だが、これを創刊したマーデンは2005年頃から「ポジティブシンキング」や「思考は現実化する」などを説くニューソートの影響を受けていったと。この辺りは今のニューエイジやスピリチュアル系の源流の一つになっているようだ。このあたりはいずれまた出てくるだろうと思う。

修養とそんなに関係があるとは知らなかった、というのが新渡戸稲造なのだが、彼は一高・東大のエリート教員だったのだが、当時「下」に見られていた雑誌「実業之日本」に連載を持っていた。読者から寄せられる切実な手紙に触れて大衆の役に立つことをわかりやすく伝えることに尽力したのだという。このあたり、社会学の祖であるオーギュスト・コントが労働者地区で数十年間天文学を講義していたという話を思い出す。新渡戸の文章はより直接的に心に響く内容だったようだが、偉い人だなあと思う。

新渡戸はキリスト教の洗礼を受け、のちにクエーカーになるが、これは「イエスの声を聞く」「黙思」の思想が仏教や道教の東洋的神秘主義と通じるものを感じたからだという。単純にその信仰をうのみにするというより、そうしたある種の習合的な感覚を持っていたわけで、戦前のクリスチャンの思想は一筋縄ではいかないなあと思う。そういう意味で新渡戸稲造の「神」も「万教帰一」的なものだったのだなと思う。

どの宗教の神も根元を辿れば同じ神だという考えは、日本独特なものと言えるのか。その場合、神仏習合思想に由来するという見方は妥当か。というところで神仏習合について、軽く調べてみたいと思った。


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