11.「社会的ひきこもり」/自分自身を統合する/諦めるしか解決方法がないはずはない、という思い(06/07 08:08)


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昨日はいろいろ仕事をしながら本を調べ、地元の市の図書館で少し離れた市の図書館の本を送ってもらう手続きをし、近くの町の図書館に行って二冊借りてきた。斎藤環「社会的ひきこもり」(PHP新書、1998)と安田祐輔「暗闇でも走る」(講談社、2018)。

斎藤 環
PHP研究所
1998-11-01



前者はひきこもり問題についての嚆矢とも言える書籍だと思うが、1998年という出版がすでに20年という月日が流れていて、この本の副題に「終わらない思春期」という副題がついているように、不登校等によって始まる若者のひきこもり問題が論の中心であり、また実際まだ退職等に伴う中高年に始まるひきこもりの例があまり捕らえられていなかった時期に書かれたという印象がある。読みながらそういう疑問を感じていたので同時に斎藤環氏の最近の発言をネットで探し、2015年の下のURLのサイトを参照して、斎藤さんの認識と取り組みのアップデートを確認しながら読んだ。

そこでは中高年のひきこもりの問題も包摂するために「社会的ひきこもり」の定義も見直していて、そのあたりも含めて納得できるところがあった。理解したり考えたりしながら読んでいることもあってまだ27ページまでしか行っていないが、勉強したいと思う。

安田 祐輔
講談社
2018-04-27



後者のサブタイトルは「発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾を作った理由」となっていて、対象は若年者だが当事者でもある著者の取り組みを学べると思い、選んでみた。まだ読んでいないので内容は確認できないのだが。

また少しひきこもりについて話題にする機会があったので話してみると、やはり思ったより中高年でもそういう人は多く、ただ不登校は人数として把握されているけれども、中高年に対してはそういうことは調査そのものが行われていないということで、また斎藤さんが紹介している行政の対応を見ても対策は主に若い人が対象であると思われるものが多く、中高年のひきこもりの問題はまだまだこれからだなと思った。


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