1.「教養としての世界史」:賛成できるところとできないところ(04/22 12:30)


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東京でやるべきことはいろいろあるので、今日は何をやろうかと考えた結果、まず本を読もうと思って山下範久編『教養としての世界史の学び方』(東洋経済、2019.4.5.)を読み始めた。




まだ「はじめに」と第一部「私たちにとっての世界史はいかに書かれてきたか」の第一章「近代的営みとしての歴史学」の第一節「科学としての歴史学」の4つの項、「人類の進化と神話/神話と歴史は区別できるか/近代国家、大学、歴史学/ランケの「歴史主義」」を読み終え、第二節「近代歴史学と歴史区分」の第1項、「近代に生まれた三区分法」まで読んだところ。まだ33/442しか読んでいないので本全体の批評はできないが、ここで取り扱われていることにいろいろ感想や考えるべきテーマみたいなことは出てきたのでとりあえずそれを書いておこうと思う。

この本は、内容に対する賛否はともかく、かなり意欲的に「史学史」を振り返り、「世界史」ないし「歴史」というものとその見方をそれぞれの現場において活用することを目指して書かれた、歴史学専攻の人だけにとどまらない一般教養として歴史が活用されるべき多くの人たちに向けて書かれた史学概論的な書物ということで、その点はまず十分に評価されるべき書籍だと思う。それが歴史学専門出版社ではなく、「東洋経済新報社」によって出されたことで、表紙には「世界のエリートにとってなぜ世界史のリテラシーが重要か?」だとか「世界史は最強のリベラルアーツだ!」とか今流行の方向性が粉飾されていてまあそういうところは痛々しいけど仕方ないだろうなあとは思うし、まあちょっと勘違いしてでも買って読んでくれる人がいれば成功、みたいなところはあるんだろうなと思う。

まあそういう2019年時点での資本主義への妥協はあるのだけど、内容としては編者の山下氏が世界システム論のウォーラーステイン系の歴史理論家であるという点から見れば、むしろ左派系の内容になっているというのはまあ予想されるところではある。いろいろ論点はあるので、とりあえず今日は「はじめに」で取り上げられていることについて書きたい。

「はじめに」に書かれている「対象とされるべき読者」は三通りあって、一つはディスラプティブな破壊的創造を社会にもたらそうとするクラス、いわば社会を作り替えていく人たち(それは現代においては必ずしも指導者・エリートではないかもしれない)に向けたもので、いわばアップルのスティーブ・ジョブズがイノベーションによって自分の暮らしやすい社会を実現しようとしたのと同じようなビジョナリーな視点を提供するものとしての世界史という観点になると。これはジョブズがインドにかぶれたり書体学に熱中することによって現代アメリカやそこで当たり前とされていることを変えたいと願い、それを技術的イノベーションを通じて現代社会の生活そのものをパーソナルコンピューターやスマートホンによって変えて行ったことに通じる、ということのようだ。

ただ、私の立場から言えば、設計主義的に社会や世界を変えて行こうという思想には賛成できない立場なので、このようなビジョナリーな人たちが世界をどんどん変えて行くことには疑問もある。そういう意味で私は制度のドラスチックな変更よりも漸進的な変化を是とする保守主義の立場なのだけど、ただ、この立場から言っても変革者たちが何にヒントを得てどう世界を変えて行こうとしているかを知ることは対抗戦略を練るうえでも重要だとは思うので、世界史を学ぶことの意味があるということには反対しない。世界史はある意味両者共通の参照枠なのだと思う。


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