9.書くことによって見えてくるもの/関係を切るときに自分の存在を重く感じさせること/きれいな世界で生きていたい(03/01 14:35)


< ページ移動: 1 2 3 4 >
【きれいな世界で生きていたい】

なんと言うのか、そういうのは気持ちの問題と言うよりも体質の問題なのだと思うのだけど、どろどろした世界でのたうち回るのが好きだと言うナマズかコイのような人もあれば、きれいな空気、きれいな水でなければ生きられないという絶滅危惧種の魚や昆虫みたいな人もあるわけだ。

あるいはきれいな山の中で育って街に出ることで元気をなくし、また山に返って元気を回復すると言う『アルプスの少女ハイジ』みたいな人もいるし、世界中の危険地帯を飛び回らなければ気が済まない傭兵やノンフィクションライターみたいな人もいる。

まあ自分がどんなタイプかと言えば、やはり「清濁併せ?む」と言うよりは、純粋にきれいなものを求めて生きていたい方のタイプなんだよなあと思う。

必要に応じて泥の中にも行かないこともないが、ずっと泥の中にいると窒息死してしまう、と言う感じだなあと思う。

『ぼくらのへんたい』の主人公の一人「まりか=裕太」は「お姫様になりたい男の子」で、ずっと一人遊びで自分の世界をつくってきたのに、自分の身体がどんどん男らしくなって行くことに強い違和感を持って行く。そのなかで、好きだと言う気持ちやそれを踏みにじられた傷、それに相手のもっと深い傷を知ってしまったと言うようなことの中で、自分がどんどん「汚れて」行くのを感じ、「きれいでいたかった」と思う。その感じが、凄く自分にとって生々しく、痛々しく感じる。それが私が『まりか』と言う存在に引かれる、すごく根本的なところだと思う。

まあその『きれいなもの』と言うのはなんと言うか、純粋性と言うかピュアネスと言うか、それを突き詰めて追求して行くのが「詩人」で、のたうち回る現実の中に真実を追究するのが「小説家」なのかな、と言う感じを私は持っている。

でも、もちろん現実にはピュアネスを追求する作家もいればのたうち回る現実を書こうとする詩人もいる。

人が生きる以上、きれいな世界だけで生きて行くことは難しいけど、この世から「きれいなもの」を減らす方向ではなくて、「きれいなもの」を増やす方向に取り組むことはできる。

きれいな世界だけで生きるのは難しくても、きれいな世界を広げようとして生きることはできるのだから、そんな風に考えてみればいいんじゃないかなと思った。

付け足しになるけど、こういう人たちを支え、励ましてるのが美輪明宏なんじゃないかと昨日読んだ対談を思い返して改めて思ったりした。


< ページ移動: 1 2 3 4 >
9/262

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21