7.近藤ようこ『五色の舟』にマインドを侵食される/侵食されてから客観性を持つまでの間に得るもの(04/01 10:08)


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【近藤ようこ『五色の舟』にマインドを侵食される/侵食されてから客観性を持つまでの間に得るもの】

<画像>五色の舟 (ビームコミックス)
近藤ようこ
KADOKAWA/エンターブレイン

昨日はどうも近藤ようこ『五色の舟』にすごくマインドが侵食されていたらしく、なんだかずっといろいろなイメージが湧いてきて自分を見失いそうになる感じすらあった。その時の感想はこちらこちらに書いてあるのだけど、幼児期からのいろいろな記憶とないまぜになるというか、こちらの心の感覚器官のようなものとすごく引っ付きやすい面があって、手を洗ってもなかなか取れないぬるぬるのような、自分と区別のつけにくい他者みたいな感じがあった。

私はもともと自我の境界線が弱いというか、意識していないと呑み込まれやすいところがあって、だからこそ多くのことを感じられるし、逆に人に伝えるときにも何か言葉以上のものが伝えられるという感じがあるのだけど、こういう意識しにくい、無意識の領域から侵食してくるような作品というのにはなかなか対処できなくて、すごく苦労してしまう。ただそれによって、自分の中を洗いざらい点検できるチャンスというか、そんな感じでもあったのでうまく方向性を出せるような対処の仕方が出来ればいいなと思う。

<画像>仮想恋愛 (1982年)
近藤ようこ
青林堂

もともと近藤ようこというマンガ家は最初に読んだ『仮想恋愛』のときからすごくずどんとくるところがあって、自分がしっかりしていないときには読みにくい感じがあったのだけど、『小栗判官』で完全なフィクションの世界を描き出すようになってからは自我が侵食されるというよりは自分がそのフィクションの世界に飛翔しやすい描き方の人、という印象に変わっていた。


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