もちろん、小説というものは多くの場合、そういう部分があると言えなくもない。明治や大正時代にも、漱石の『それから』や『こころ』を読んで自分のあり方を肯定し、ほっとしている青年は多かっただろう。だからこそ、文学に耽溺することがろくでもないことのようにいう人がいたわけだけれども。
小説を読んでいるとき、人は必ずしも前向きではない。もちろん常に前向きである必要はないけれども、小説は面白いからこそ、読んでいて自分がどちらの方向を向いているのか見失うことも多いのだと思う。
だからときどき、小説に耽溺している自分にふと気がついて、はっとしてみるのもいいのではないかと思ったのだ。
『ドライブ・マイ・カー』を読み終えて、そんなことを考えていた。