50.方向性より決意が自分を動かす/ライアン・マッギンレー/日本に足りないもの(11/22 20:03)


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【方向性より決意が自分を動かす】

昨日は6部作の小説作品の第6部までの第一稿を上げて、30分ほどやり遂げたという充実感に浸っていたのだけど、まあまだ完成したわけではないのですぐに直しにかかろうと言うところもあったがとりあえずはまだすぐそういう方向には心も体も動かないので仮の冊子をプリントアウトして自分で読み直す用のものを作成した。1部2部はもう冊子の形にしてあるのだけど、6部まで作って通して読んでみてまた考えてみたいと思う。

今朝は何となくやるべきことの方向性がはっきりしなくてゆっくりと時間を過ごしたのだが、まあそういう時間が多少はあってもいいだろうと思った。昼前に出かけて少し買い物をしてから書店へ行く。毎日行っているのだけど、少しずつ発見がある。今日は何か自分が見えそうなものと思って探していて、橋本治『その未来はどうなの?』(集英社新書、2012)を買った。橋本治の本は私にとっては当たり外れがあるのだけれども、当たったものに関してはすごくこころの糧になることが多く、外れかもしれないけど読みたいな、と思うことがある。彼の小説の中にはこういうふうに書きたいなと思うものがあって、そういう意味でも私のアイドルのひとりだなと思う。この本はTPPのことなどについて書いてあるらしく、あたりか外れかはまだ分からないが、読んでみようと思う。

<画像>その未来はどうなの? (集英社新書)
橋本治
集英社

今日は車を運転しながら、何となく心浮かないのはなぜなんだろうなと思っていて、それはまあ昨日一度書きあげたことからくる虚脱感が大きいのは分かっているのだけれども、いつも思うのだがこういうときは自分自身に対してどういう姿勢で臨むのがいいのかなあと思うのだ。昨日までと同じようにとにかく書くことに集中して、というふうに自分に対することはできず、かと言って今まで書いている間にできなかったことをしよう、とか考えるとどうも気持ちがふさぎがちになる。今朝などは自分の置かれた環境や、自分を助けてくれるたくさんの人がいるからやれてきたんだなあということを強く思って、そういう人たち、ものたち、世界に感謝しよう、とか思ってみたりしたのだが、そんなことを考えるとよけいゴンと落ち込んだりするのだった。

何となく運気の流れが悪い時に感謝の気持ちが足りないんじゃないかとかいうことはよく言われたりするわけで、まあ確かに足りないんだろうなと思ったりはするからそういうことはしてみたっていいのだけど、結局そういう人たちに対して何かお返しができるかというと何もできないんだなあという無力感の方が出てきてしまって返って危ない。そういうわけで「みなさんに感謝するプロジェクト」はあえなく中止に追い込まれた。

昨日暁方ミセイさんの作品について座標軸が見えた、自分の方向性を確認することができた、というようなことを書いたが、それもまたちょっと浮かない気持ちになっている原因の一つだなと思った。人が真剣に生きているときに、自分の方向性なんて考えているだろうか。少なくとも私は考えてない。目の前のことをどうするか、全力でやっているだけだ。あとで振り返って、ああ自分はこういう傾向があるなあとか、自分のプリンシプルというのはこういうことだなあと思うことはあっても、自分のプリンシプルはこうだからこうするぞとか思って行動しているわけではない。結局はカンで決めている。その選択肢を選ぶことが「いい感じ」がすればそちらに進むし、「イヤな感じ」がしたらやめる。決定に迷うときにはカードを引いてみることも少なくない。出たカードに納得できたり、少なくともそのカードの指し示す方向に賭けてみようと思えたときにはその方向に進むことを決断したりする。およそプリンシプルとか方向性とかいうものはその時には存在しないわけで、ある意味影のようなものだ。


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