5.『One Piece』の尾田栄一郎さんと宮崎アニメと『くるみ割り人形』。(07/15 11:58)


< ページ移動: 1 2 3 >
商品詳細を見る

ホフマンの原作には「七つ頭のネズミの王さま」というのが出てくるそうなのですが、それがぬいぐるみで表現されている(!)という話が面白いですし、それが強そうではなくやわらかく表現されているのが「これだ!」という感じだったのだそうです。

宮崎さんも書いているのですが、ホフマンの原作は読んでも理解できない、つまり「つじつまがあってない」作品なのだそうです。(原作は読んでないので知りませんでしたが)それはこの原作は「連載マンガ」みたいなものだからだ、と書いているのが尾田さんらしいなと思いました。

私たちが子どもの頃(と言っても尾田さんは私より10歳以上下ですが)、マンガというものはつじつまが合ってないものでした。「キン肉マン」などはそのとき面白かったらいい、という感じで全然つじつまが合ってなかったのです。

一方、『One Piece』は恐ろしくつじつまが合っている。というか、何年も前に出て来たキャラクターが実はこういう存在だった、といって話の隙間を埋めながら話が展開して行く壮大な物語なんですね。私も最近の作品を読むようになってから、『進撃の巨人』なども「つじつまが合っている」からこそ、『作者の意図は何か』とか『この筋はこう展開するのではないか』などとみながネットで予想しているわけですが、いつからマンガというものはこういう『きちんとつじつまが合っている』ものになったのか、というのは不思議に思っていました。

尾田さんのこの文章を読んで知ったのは、尾田さん自身が、マンガ家になったときに、それまでのマンガはつじつまが合わなくても平気と言うものだったから、「きちんとつじつまを合わせた物語を作ってみたい」と思って書き始めたのが『One Piece』だった、ということです。

今はみんな口うるさくなって、矛盾をより細かく指摘する人が『偉い』という風潮が生まれたと尾田さんはいいますが、つまりは尾田さん自身が生み出した流れが今は主流になって、(そりゃ3億冊のヒットですからね)「マンガとはそう言うもの」になってしまったのだ、と尾田さんはいうわけです。

でも物語というものには本来、そんなルールはないはずなんだ、と尾田さんが言ってるのは新鮮でした。自分は一つの挑戦としてそれをやってみたかったのだけど、本来もっと自由でいいはずなんだと。例えばこのホフマンの作品は、そう言う自由な発想で書かれている、と尾田さんは言います。

宮崎さんの作品も、つじつまが合うという点では『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』を超えるものはない、と尾田さんは言います。もう『千と千尋の神隠し』以降はつじつまが合わなくてもいいから描きたいものは描く、という姿勢になっていると。だから『クルミわり人形とネズミの王さま』にあって「これでいいんだ!ドーン」って思ったのかな、と思ったのだそうです。(「ドーン」とか「どーん」というのはOne Pieceによく出て来る擬音です。)


<画像:ONE PIECE 72 (ジャンプコミックス)>ONE PIECE 72 (ジャンプコミックス)
(2013/11/01)
尾田 栄一郎


< ページ移動: 1 2 3 >
5/262

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21