49.橋本治『その未来はどうなの?』/キンドルのレザーカバー/感謝することの意味(11/23 21:55)


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【橋本治『その未来はどうなの?』】

今日は朝職場のごみを捨てに出た以外は仕事に出かけるまで一度も外出しなかった。最近では珍しいことなのだが、橋本治『その未来はどうなの?』(集英社新書、2012)を読んでいたのだ。だいたいのところ、最近は午前中にものを書いていて煮詰まって来ると出かける、みたいなパターンが多かったのだが、今日はそうならなかったのは、ゆっくり過ごしていたせいもあるが、わりと面白いと思いながら本を読んでいたために、一日ストレスがあまりたまらなかったということがあるのかもしれない。

<画像>その未来はどうなの? (集英社新書)
橋本治
集英社

『その未来はどうなの?』はどう面白いのか分からないまま読み始めてああこんなふうに面白いのか、と思った本なのだが、現在116/204ページ、全9章のうち5章まで読んだ。取り上げられているのはテレビの未来、ドラマの未来、出版の未来、シャッター商店街と結婚の未来、男の未来と女の未来、というテーマで話が進んでいる。テレビの話から始まるのは面白いが、テレビは日本人をいい加減にした、という主張は意外性はないが意外性がないだけに面白い、という感じがした。

二つ目のドラマの未来、というのが自分にとっては一番得るものがある感じがしたのだけど、橋本はドラマというものを「どう生きて行くかという指針のない世の中で、人の生きて行く指針となったもの」ととらえているのが面白く、そういえば彼の小説というのは常にそれなりにそういうものだよなあと思う。受け入れるかどうかは別にして、人の生き方とかあり方について考えさせられるものが多い。

ドラマと言っても文学史の整理みたいな話がけっこうあって、大衆小説と近代小説は別の起源をもつものであって、生まれも育ちも違うのだ、という話は問題のありかをよく整理しているなあと思った。近代小説では自由という指針のない世の中で頑張ったってうまくいかない苦い認識、つまり「挫折」感の存在を前提としているのだが、大衆小説はもともと講談を起源としていて、講談というのはどんな無茶なことでも頑張れば何とかなるという、ひたすら前向きな前提に立ってどんな困難でも乗り越えて行く人物像が描かれるものだ、という指摘は斬新だった。つまり文学=近代小説では「挫折あり」がリアルな認識であるわけだけど、日本人の生きる指針になってきた大衆小説では頑張れば何とかなるという前提があるからこそ生きる指針になるわけだ、ということになる。

その代表的な例が吉川英治で、佐藤栄作は川端康成に吉川英治のような小説を書いてくれと言ったというエピソードが紹介されているが、まあ以上のような前提で読むとそれはいろいろと味わい深いものがある。吉川英治は自分が書いているのが「低俗な大衆小説」であるという認識を持っていて、文化勲章が授与されると言う話になったとき、一度は辞退したのだそうだ。しかし小林秀雄に「あなたの読者のためにお受けなさい」と言われて受賞することにした、という「美しい話」が紹介されている。このあたりはとても面白い。橋本自身はエンターテイメント作家なのか純文学作家なのかよくわからないがそのよくわからなさが魅力的な作家なのであって、その人がこういうことを書くと言うのもまた面白い。

「ドラマとは面倒くさい他人と付き合って分かろうと言う気もないまま重要なことが分かりそうになるもの」だという定義も面白いのだけど、まあ確かにそういうものだなと思う。

私が書こうとしているものは、挫折とかそういうものを描きたいわけではないし、まあやっぱり結局は「頑張ったら(頑張らなくても)最終的には上手く行きました」という話にはなるので(何を持って上手く行ったといえるのかということはいろいろあるのだけど)つまりは近代文学っぽくはあまりないんだなあと思う。そういう意味で、生きる指針になるドラマみたいなものが書ければいいなとは思ってるんだなと思う。


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