4.村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』(講談社文庫)を読みました。(10/02 11:17)


< ページ移動: 1 2 3 4 >

で、話の中にも効果的に「ウソ」に対するエピソードが含まれている。でもこの実際に出てくる「ウソ」は鼠に関するそれも九本指の女性に関するそれも、読者を惑わそうと言う企みというよりは、必要とされているウソ、身を守るためのウソ、それが悲しい意味なのか身勝手な意味なのかは別として、という感じで描かれている。

ウソというものは、真実を相対化して無力化してしまう力を持っている。だから読者もはっとして、ここに書かれていることは本当のことなんだろうか、と思わず思ってしまう。まあフィクションなんだから本当もウソもないんだけど、それがウソなら本当はなんなんだろう、とつい思ってしまう、で書かれていない部分に本当を探そうとして、それを見つけたという気持ちになったりもするのだけど、結局袋小路に入ってしまう、みたいな感じになるわけですね。でそこに、ある種の幻想性が生まれる。まあ、煙に巻かれた、とも言えるわけですが。

印象に残ったことの一つは、主人公が高校時代に「僕は心に思ったことの半分しか口に出すまい」と決心したというくだり。そしてある日彼は、「心に思ったことの半分しか語ることの出来ない人間になっていることを発見した」というわけ。こういうことにはすごくリアリティがあって、でもこれを言葉遊びとしか読めない人もいて、だから村上さんの評価はそういう人にとっては低いんだろうと思います。

で、こういうリアリティの方向に、村上さんの作品はどんどん伸びていると思うし、私が「ねじまき鳥」で感動したのは主にそういう方向のリアリティだったように思います。また、デレク・ハートフィールドの引用の中には火星の地下に深くて長い井戸があり、ハートフィールドの主人公がそこに潜って歩き続け、地上に出て来たら15億年経っていて太陽は既に赤色巨星になっていてあと25万年で爆発する、という状態になっていた、なんて話は、浦島太郎や神人同士の囲碁を見ているうちに斧の柄が腐った中国の説話や、諸星大二郎さんのある種の物語にも共通するモチーフで、このへんはすごく好きだったのですが、しかし「ねじまき鳥」で重要なモチーフである井戸が既に処女作で登場していたのには驚きました。

もう一つ印象に残った、と言うかテーマと言ってもいいしまたその回りをうろうろする話だ、と言ってもいいのが「人間は生まれつき不公平に作られている」というケネディの言葉。これはどうやら”Life is unfair.”という言葉で、ベトナムへの予備役の招集に抗議する予備役兵のハンストについて聞かれたケネディが「ベトナムで死んだり傷ついたりする人もいれば、一生サンフランシスコからでない人もいる。人生は不公平なものだ」と「哲学的」に答えて、おそらくはケネディのリベラルなイメージと違ったために、ブーイングされた言葉として記憶されているようです。

この村上さんの引用の文脈では、おそらくはケネディに対する幻滅とかある種の侮蔑のようなものもその元にはいかほどか含まれているこの言葉を引用し、でもまあ人生が不公平であることはある意味誰の目にも明らかなわけで、まあその不公平な例がいろいろ語られているわけですね。鼠は金持ちのうちに生まれたけどその境遇を、金持ち自体を憎んでいる。というのは、鼠の親が金持ちになったのが決して誉められるような事業によってではなかったから、ということがあるわけですが、そんなことは受け入れてそれを乗り越えられるようにがんばるしかないという主人公に鼠が「本当にそんなことを思っているのか?ウソだと言ってくれないか?」というところが面白いなと思います。

また九本指の女性についても、その指を失った事件や、そうやって生きて来てそのあとひどい目にばかりあって来たこと、指を失わなかった双子の姉妹の存在、その他のことについて彼女の人生にいわば闖入して来た主人公と話すところがまあやはりこの物語のメインストーリーだと思うわけですが、まあ、そういうことを含めて彼女の不幸の語られ方がちょっとステロタイプかな、と思わせるところがあります。たぶんそこは、後年の村上さんだったらもっと巧妙にそういう人間を持ち出すリアリティを構築すると思うのですが、その「事実の重さ」みたいなものに頼っているのではないか、と思われる部分はありますね。でもまあそういうところが処女作だと感じさせる部分でもあるし、このキャラクターの設定のしかたを少しずつずらして行って後年の何だか不思議な登場人物たちに進化、ないしは成長させて行ったんだろうなと思いました。


< ページ移動: 1 2 3 4 >
4/262

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21