4.村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』(講談社文庫)を読みました。(10/02 11:17)


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それが変わったのが、先日読んだ『職業としての小説家』でした。これは本当に感動しまして、特に「小説家は芸術家である前にまず自由でなければならない」という言葉にすごく感銘を受けました。ここのところ「自由」ということについて考え続けていたということもあり、この言葉、というか読み終えたときの「この本は何度も読まなければならない」という感じが、「村上春樹という作家」を「尊敬する作家のひとり」というポジションに持ち上げたわけですね。

この『職業としての小説家』の中で、村上さんは「初めて小説を書いたときのこと」をとても詳細に書いています。神宮球場でヤクルト巨人戦を見ている時にふと小説を書こうと思った、という話は以前から知ってはいましたが、そう思ってから実際に書き始め、それを一度全部書き直し、『群像』に投稿し、最終選考に残ったという電話をもらい、鳩を見ながら自分が受賞することととそれから作家としてやって行けるようになるということを直感し確信した、というところまで、何というか一つの作家誕生のストーリーにすごく感銘を受けたのです。

で、ですから、実際にその処女作である『風の歌を聴け』を読んでみたい、という気持ちはありました。この作品、Wikipediaによると投稿時の題は「Happy Birthday and White Christmas」だったそうで、まあ何というかこの方が村上さんらしい題だとは思いますが、今ならうれるとは思うけれどもデビュー当時にこの題名だとどう誤解されるかわからないし売れなかっただろうなとは思います。きっと編集者に言われたか編集者がつけたかした題名なんだろうなと思います。あまり村上さんらしい題名ではない気がします。

まあそれはともかく、読みたいという気持ちはありながら、自分自身が自分の物語を書くのに取りかかっていたりして、読む暇がなかなかない、という感じになってました。しかし昨日(10月1日)ちょっとアイデアを出すのに刺激をもらいたいと思って書店で本を物色して、そうだこの機会に読んでみようと思って読んでみたわけです。数日かけて読むつもりでしたが、結局数時間でぱっと読んでしまいました。とてもよくできた小説だ、というのが第一印象でした。

この物語は、村上さんの原点だな、と思います。処女作にはその作家のすべてが含まれている、と言いますが、村上さんの場合は、実際、一作一作その「進歩」がはっきりと刻まれている、ということはつまり何か達成したい目標があって、そこに向かって確実に一歩ずつ進んで行っている、という感じがあるわけですが、ですが、と言ってもそうですかと思われるかもしれませんがそのことについてはエッセイやインタビューなどで繰り返し答えていますし、今回の「職業としての小説家」でもそのようなことを書かれている部分がありました。

原点というのはつまり、主人公のいる場所が村上さん自身のいる場所からそんなに離れていない、という意味です。そこから一歩一歩離れて行く、自分と主人公の距離を少しずつ遠ざけて行く、つまり主人公のいる場所を少しずつずらして行くことによって、語られ得る物語世界をすこしずつ広げている、という感がすごくあるわけです。

しかし物語世界が広がって行くということは、ある意味その場所の具体性が減少し、抽象度がまし、ある意味ファンタジー性が広がって、ある種の幻想性が強くなる、ということも意味しているように思います。『ねじまき鳥』などはその辺りが典型的で、まあ私はそういうところが好きだったわけですが、『風の歌を聴け』を読んで驚いたのは、その現実的な意味でのリアリティをむせ返るように濃厚に感じた、ということな訳です。

関西の瀟洒な小都市(芦屋でしょう)から東京の大学に行っていて、夏休みの間実家に戻り、行きつけのバーに通って鼠と言われる友人と話したり、指が9本しかない女性と関係を持ったりし、また東京に戻って冬になって帰って来たらその女性は消えていた、という構造も、村上さん自身の出身と学校歴、芦屋と東京の関係、友人との関係、そして書いた時にジャズバーを経営していたという自分自身の仕事までそこには反映されているわけで、自分からそんなに遠くないところの範囲で書かれている。だからディテールがすごく濃厚で、これはある意味処女作にしかないテイストだと思います。

もちろん作家によってはそのディテールを深め、より濃厚な方向に進む人もいますが、村上さんはそういう方向をとらなかった。少しずつ自分から離れて行くとともに、よりある意味抽象的なリアリティといえばいいのか、そういう方向へ行ったわけです。

この作品では、もちろん処女作ですからそこまでは出来ない。だからどうしたかと言うと、意識的にウソ(フィクション)を導入しているのですね。この物語にはデレク・ハートフィールドというアメリカの作家のプロフィールと作品内容が効果的に引用されているわけですが、実はそんな作家は実在しない。これを真に受けた多くの読者がこの作家の本を読もうとして図書館の司書が大いに迷惑した、というエピソードがある位、真に迫ったウソだったわけです。


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