39.自分を大切にするとはどういうことか:共感の記憶と本質的な達成(03/12 10:07)


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ほんとうに本質的な進歩というものは、もって生まれたものをどこまで育てるか、というところにあるのだということを、最近思ってはいたのだけれども、成長とか進歩というものをそういうふうにもともとの自分自身を否定し乗り越えていくことだという観念が強すぎたために、今までの自分を忘れようとし過ぎ、自分の本質というようなものさえ見失ってしまうというような傾向が強くあったなあと反省しなおし、「もって生まれたものをどこまで育てるか」ということに回帰すると、自分自身を大切にすることこそが進歩の出発点、ということになる。その時「自分自身」とは何かということになるが、それはつまりは自分の好きなもの、自分が一番本質的に共感するもの、というふうに考えるべきで、ということはともすればもう乗り越えた、あるいは少し離れたいと思いがちなものこそ本当に大事なものだということになるだろう。まあそれは例えば両親から受け取ったものとかでもあるということになる部分もあるだろうし、最初に純粋に面白いと思ったものかもしれない。「自分自身」を「能力」と考えてしまうと勘違いするが、能力なんてものは変化するものだから、あまりそこに芯は置けないが、本質的な共感みたいなものはそんなに変化しない――変化したらある意味別の人間になる――のではないかと思う。

そういうもの、自分からの距離があまり近いものに対してはアンビバレントな感情を持ちがちなのでなかなか整理しづらいが、それは大切にした方がいいと改めて思ったし、そういうことが「自分を大切にする」ということなのだと思った。つまり、自分の「原点」だ。

結局、自分が自分であり続けるということはどういうことなのかと言えば、「記憶」なのだなと思う。いつまでその大切な記憶を持ち続けていられるか。変化したいという思い、進歩したいという思いもまた原動力にはなるけれども、少なくともある達成をしたときにはその原点からの距離をまた測りなおしてみることも、自分の方向性を確認するうえでも大事なことなのではないかと思った。

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今日の六曜は先勝だよな、と思ってカレンダーを見たら友引と書いてあってびっくりしたが、旧暦で月が替わったのだ。今日は旧2月1日。旧暦で言ってももう春本番だ。旧暦の春は1、2、3月だから。睦月、如月、弥生。


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