37.自分自身を問い直させられる本:「表現する幸福」と「自分」というもの(03/21 21:43)


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【自分自身を問い直させられる本:「表現する幸福」と「自分」というもの】

<画像>物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ――構造しかない日本 (角川oneテーマ21)
大塚英志
角川書店(角川グループパブリッシング)

大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿』(角川Oneテーマ21、2009)読了。表題からは一般受け狙い感が漂うが、中身はかなり本格的な議論で、かなり読みでがあった。副題が「構造しかない日本」とあるが、これは村上や宮崎に代表される80年代以降の物語作家・表現者たちがなぜ世界に受けたのか、という内容の議論である。結論から言えば、彼らが使っていたのは『スターウォーズ』と同じ、あるいはそれを導き出したもともとの物語論、プロップ『昔話の形態学』やキャンベルの単一神話論、ボグラー『神話の法則』と言ったいわばグローバルスタンダードの物語構造をかなり忠実に使って作られているからだ、ということを言っている。

こういう議論を読むのは初めてではない、たとえば『魔法少女まどか☆マギカ』などの物語構造について分析している沼田やすひろ『「おもしろい」映画と「つまらない」映画の見分け方』などは読んだことがあったが、これはそれらの本をさかのぼるとロシア・フォルマリズムやその系譜を引く構造主義に行きつく、というアカデミズム的な角度からの分析がなされていて、なるほど、というかなんだ、そうだったのか、と思うことがたくさんあった。

プロップらのもともとのアイデアは、すべての神話・物語には共通する要素があって、それらを拾いだして行くと物語を構成するのに必要な最小の単位が見えてきて、それらの要素を再構築して構造を作れば、あとはさまざまな具体的なものを「代入」することで物語はいくらでも作れる、というようなことのようだ。私は最初、物語のタイプ分け――たとえばニニギノミコトがコノハナサクヤヒメを娶りイワナガヒメを返したために寿命ある存在になってしまった、という説話は大きく言えば「バナナ・タイプ」と言われる類型に属するなど――の話かと思ったらそうではなくて、世界のすべての神話や物語は要素に分解することができるし、逆に言えばその要素を組み立てればグローバルに通用する物語でも作ることができる、という実にハリウッド的な使われ方をしている思考があって、意識か無意識かはともかく村上春樹と宮崎駿はその文法・構成に沿って物語を作っているのだから必然的にグローバルに受け入れられるものになるのだ、しかしそこに実際にあるのは中身ではなく、「構造」であり、つまりジャパニメーションが受けるのは「構造だけ」であるからで、「日本の凄さ」が受け入れられていると考えるのは錯覚だ、ということを言っているわけだ。

まあこの本の内容の主筋はそういうことなのだが、私は大塚英志という人の文章をこれだけまとめて読んだのは初めてだったので、いろいろと彼の思想全体から考えさせられることも多く、大変大きなインパクトを受けることになった。先週、3月11日〜14日にかけて読んだ橋本治『美男へのレッスン』上下がすでに今年もっとも面白かった本だ、と思ったということを書いたけれども、この本もそれに勝るとも劣らない。両方とも今の自分にとって必要なことがたくさん描いてあったと思うが、橋本の本はむしろ私を元気づけてくれるような内容だったけれども、今回3月18日〜21日にかけて読んだ大塚の本はまさに私の根本的な部分をいろいろと問い直して来るようなものを感じさせられた。

自分自身への問い直しというのは、当然のことだがこの内容なわけだから、まず第一には自分の創作そのものを問い直すということだ。


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