36.ふみふみこ『ぼくらのへんたい』と世界文学または現代アート:逃れられない三つのもの、「死」と「セックス」と「国家」/『さきくさの咲く頃』『そらいろのカニ』:愛の不可能性より愛の可能性(03/26 09:07)


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【ふみふみこ『さきくさの咲く頃』『そらいろのカニ』:愛の不可能性より愛の可能性】

なんとなく読めないでいたふみふみこ『さきくさの咲く頃』(太田出版)と『そらいろのカニ』(幻冬舎コミックス)を読了した。これは昨年、ふみふみこの作品が出版社を超えて「三か月連続刊行」されたときのもので、初回限定描き下ろしペーパーがついていた。今年1月発売の『ぼくらのへんたい』2巻がリュウコミックスだから徳間書店。まあ漫画の世界ではそうメジャーとは言えない出版社だが、それでもそれをまたいでキャンペーンが行われるということで時代は変わったなあと思った覚えがあった。

<画像>さきくさの咲く頃
ふみふみこ
太田出版

『さきくさの咲く頃』は一冊一話の作品で、主人公の女の子とその従姉妹の男女の双子をめぐる話。主人公の女の子がその男の子の日常を双眼鏡でのぞくという習慣があったり、その男の子が男の子のことが好きだったり、といろいろあるのだけど、『そらいろのカニ』に出てくる様々な性癖の人たちも含め、マゾヒストや同性愛者だけでなくのぞきも露出狂も結局はある意味「性的マイノリティ」なんだよなあと思う。同性愛者の権利は認められる方に動いているけれども、幼児性愛者の権利が認められるようになる可能性は近代民主主義国家ではまずありえないわけで、セックスの問題というのは常に慣習や権力との対立の可能性を内包しているということを改めて思わされる。

ストーリー自体はまあ高校生の青春なのだけど、そういう問題を絡めながらもすっきりとした読後感ではある。三人の進路がそれぞれこれからどうなるの?的な感じで終わっているのになんだか爽やかなのは、なんというかある意味作者の人生を肯定する感じというものが現れているように思い、好きだなあと思った。

<画像>そらいろのカニ (バーズコミックス スピカコレクション)
ふみふみこ
幻冬舎

『そらいろのカニ』は、エビとカイが生まれかわり死にかわり、何度も出会って愛しあい、というか関係を持ちあうという話で、不思議な輪廻転生譚。女子修道院での同性愛から愛人を座敷牢に幽閉する主人の話、性別のない世界で愛しあう二人や、セクサロイドを作ったマッドサイエンティストなど、「あなた」と「わたし」が様々なものに置き換えられて愛すること、交わることとは一体何なんだろうと答えが出ないまま展開していく話。読んだときにはよくわからなかったが、こうして書いてみるとだんだんそうかこういう話なんだよな、という気がしてきた。その輪廻転生性と、愛を扱っているというところが手塚治虫の『火の鳥』のようではあるのだけど、手塚の作品に感じる「愛の不可能性」よりも、「愛の可能性」の方に重きが置かれている感じが好きだ、というかより現代的で新しい感じがすると思った。


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