31.身体の調子と体力の関係/読書記録/「世のため人のため」という言葉と「権力」の関係/旅人としての私/ジブリの教科書/ホメロス『イリアス』/ラマナ・マハルシ:「それは私ではない」(05/13 11:41)


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【「世のため人のため」という言葉と「権力」の関係】

『どうしたら桜井さんのように「素」で生きられますか』は、他の桜井の本と一線を画す面白さがあった。ほかの桜井の本は概して男性が聞き手で、そういう意味で男だったらそれはわかるよな、みたいな聞き方と、桜井の方もみなまで言わないという感じがあったのだけど、この本は聞き手が女性であり精神科医であるということもあって(精神科医で言えば名越康文が聞き手の本もあるのだが)女性に対してその辺のところを気を遣ったり分かりやすくしたりでも言うべきことはズバッと言っているところもあって、そのあたりにある種のスリリングさがあったりした。

<画像>どうしたら桜井さんのように「素」で生きられますか? (講談社プラスアルファ新書)
桜井章一・香山リカ
講談社

私が一番感銘を受けたのが、桜井が「自分はなぜ雀荘のオヤジをやっているのか」について考えたときに、「俺は世のため人のためになりたくないから、雀荘のオヤジになったんだ」というくだりだった。これは目から鱗というか、私自身、いかに「世のため人のためにならなければならない」という考え方に縛られているか、ということに気付かされたのだ。「世のため人のため」と言えば聞こえはいいけれども、それはよく考えてみれば上から目線というか、つまりはいわば「権力者」のスタンスなのだ。世のため人のためにやっている、ということで正当化してひどいことがどんどん垂れ流されている、という実態が満ち溢れている現在、「世のため人のため」という言説自体を疑わなければならないというところがある、ということだ。

私自身、「世のため人のため」ということを考えると自分が何をやりたいのかよくわからなくなるところがあって、それで随分迷い、混迷してきた面があるのだけど、むしろそこを外して、自分のやりたいことに打ち込んでいるうちにそれが結果的に世の中にいい影響を及ぼしている、という生き方の方がいい、というか自分はむしろそういうふうに割り切るべきなんじゃないかと思った。最初から「世のため人のため」で最後まで権力者の道を歩ききる、という安倍首相のような生き方もあるだろうが、中途半端にそれをやるよりはむしろ結果的に世の中をより豊かにするような生き方を選んだ方がいい人は、実はもっとたくさんいるのではないかと思ったのだった。まあ、先ずは自分自身のことなのだが。



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