31.身体の調子と体力の関係/読書記録/「世のため人のため」という言葉と「権力」の関係/旅人としての私/ジブリの教科書/ホメロス『イリアス』/ラマナ・マハルシ:「それは私ではない」(05/13 11:41)


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【身体の調子と体力の関係】

ブログを更新しないまま6日間経過。インターネットに日記を書き始めたのは1999年か2000年のことだったが、中断するとかやめるとか宣言して書かなかった時期をのぞけば、これだけ書かなかったのは初めてではないかと思う。日記・ブログを書く、取り組む姿勢はその時、その時期で変化してはいるのだが、今は先日も書いたようにむしろ自分の中にためていくときだというイメージがあってブログはあまり書いていない。しかしモーニングページはつけているし、日によればかなり長く書く。だから内的な言語はないわけではないのだけど、表に出して表現したいというのとは少し違う状況にあると言えばいいのか。沈黙は金とか言わぬが花という言葉があるが、言葉にしないことで熟成していくものもある、ということを、そういう言葉は言っているのかもしれないとも思った。

毎日出歩いて、実際に歩く時間が多くなっている。身体的な調子も、体力的にはだいぶ向上してきた感がある。ただ体の中にある引っ掛かりのようなものはむしろ増えていて、体力と体調というのは必ずしも一致しないものだなと思う。しかし体力がなければ満足に病むこともできず、病むことによってからだの力が回復するということもある(というのは野口整体の考え方)ので、まあそれはそれでいいんだろうと思っている。

数日前は諏訪大社の上社前宮に行き、昨日は午前中に書店を回って午後は鎌倉へ出、稲村ケ崎で海を見てきた。湘南の海は、海らしい海だ。房総や敦賀沖の日本海、伊勢湾、あるいは新潟の能生などの海を見て、あとはエメラルドの地中海と深い藍色のビスケー湾の海を海と言えば思い出すのだけど、湘南の海はまるで海の見本みたいな海で、波が打ち寄せては返していくのを見ると、人の持っている煩悩のようなものが、一つ一つ音を立てて消えていくような感じがした。また新たに沖の方から新しい煩悩が押し寄せては来るのだが、それは人が生きていることそのものであるのだろう。

北鎌倉の円応寺で閻魔大王をはじめとする十王の坐像を見たが、『鬼灯の冷徹』で地獄に対する予備知識がたくさんできたのでなかなか楽しめた。実は前の晩、自分が今の年で高校生になっていて、なぜか小沢一郎が先生でホームルームでびしっとしかりつけてみんなビビったりしているのだが、なぜか私が先生にたてついて小沢一郎に文句をつけている、みたいな変な夢を見たのだけど、閻魔大王をはじめとする十王がその小沢一郎の顔をなんだか思い起こさせて、なんか不思議な感じがした。それにしても、『鬼灯の冷徹』を読んでいるせいかもしれないけど、閻魔大王がどうも愛嬌があるように見えて仕方がなかった。

【読書記録】

最近読んだ本をメモ。個人会計の帳簿を見ると前回の更新以来買っているのは漫画雑誌が4冊、漫画の単行本が2冊、文庫本2冊、単行本2冊、それにスタジオジブリの広報誌『熱風』の5月号が来たので都合11冊。またこの期間に読み終えた本が安田登『異界を旅する能』と桜井章一・香山リカ『どうしたら桜井さんのように「素」で生きられますか?』の2冊あるので、13冊を並行しながら読んだということか。マンガはその都度読み終えているので並行しているということはないのだけど。

マンガ雑誌はモーニング、週刊漫画タイムスの週刊誌、月2回発行のビックコミック、月刊の別冊少年マガジン。『別マガ』は中身がどんどん入れ替わっているのだけど、とにかく『進撃の巨人』と『悪の華』を読み続けている。そういえば昨日はアニメ『進撃の巨人』の第6話だったが、ミカサの回想。丁寧に描いている。


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