<画像> | TVアニメ「進撃の巨人」オリジナルサウンドトラック |
ポニーキャニオン |
『十五少年漂流記』を思い出したのは、『進撃の巨人』について考えていたからだ。『進撃の巨人』は巨人と戦う人類の話なわけだが、もっと掘り下げていくと、本当は少年たちというものを巡る話なのだ。登場人物の一人一人が、すごく個性を持って描き分けられている。性格描写もそうだが、今日改めて読み直していて気がついたのは、一人一人の目の描き方が全然異なっているということだ。主人公エレンにはほとんど黒目がない。ヒロインのミカサは目のほとんどが黒目に見えるくらい、大きな黒目をしている。アニメでは、その表情の変化がもっと細かく描かれていて、エレンが死んだと聞いたときから瞳の光が全く消え、エレンに「戦え!」と言われたことを思い出して、何としてでも生きる、と決意した時から瞳の光が復活するとか、その描写が非常に細かい。たくさんの人物の描き分けの中で、ほとんど目を見ればそれが誰だかわかるというキャラクターが何人もいることに気がついて、これは実は大変なマンガだ(そんなことは改めて言うまでもないのだけどまた更に)と改めて思った。
それぞれの個性をぶつけ合いながら、自分というものに気づき、世界というものを見つけ出して行く群像劇。巨人という共通の敵あり、突如として判明する仲間の中の敵あり、息をもつかせぬスリリングな展開。
少年は、一人でも行動するが、仲間でも行動する。その両方の側面が、『進撃の巨人』にはよく描かれている。
【「少年」をこじらせ続けて数十年:『ランドリオール』『ぼくらのへんたい』『来世であいましょう』】