29.人は何歳まで作家デビューできるか/感情の泥流/小林秀雄とヴァイオリン(04/11 17:48)


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【小林秀雄とヴァイオリン】

『考える人』の小林秀雄特集、杉本圭司君の論考を読む。杉本君は演劇時代の友人だが、最近はずっと小林秀雄研究に没頭しているのだそうだ。全集をもう何度も読み返したとのことだが、私も全集を一通り全部読んだ作家というのはプーシキンしかいないし、手に入る本は全部読む、という気合で読んだのもあとは白洲正子くらいだろうか。全集読破は小林秀雄もトライしようと思ったことがないわけではないけれども、やはりそこまで読みたいとは思わなかったので何冊かで止まっている。杉本君の論考は自分の知らない小林秀雄の姿が描かれていて、面白いなあと思う。

<画像>考える人 2013年 05月号 [雑誌]
新潮社

この論考は特に音楽について書いているわけだけど、小林がヴァイオリンという楽器を偏愛しているということは知らなかった。どちらかというと骨董のこととか、つまり白洲正子の視線からみた小林秀雄像の印象が強いので、音楽という視点からはあまり見ていなかった。もちろん『モオツァルト』は読んではいるけれども。小林が若い時にヴァイオリンを習っていたとか、ヴァイオリンを思想を語る楽器ではなくただ単にその歌を聴く楽器だとみなしていたとか、そのあたりの指摘がとても面白いと思った。ヴァイオリンが歌を聴く楽器で、ピアノが思想を語る「近代的な」楽器だとみなしていたので、ピアノとヴァイオリンの合奏曲を嫌っていたというのも面白いなと思った。そんなふうに聴いていたなら、確かに「クロイツェル・ソナタ」を聴いていると頭が変になりそうな感じはあるだろうなと思う。「小林秀雄は、ヴァイオリンと一体になることによって、彼の内なる「近代」を眠らせ、ピアノによって、これに目醒めるのである」という指摘は、とてもいいなあと思った。

だから、小林にとってピアノは思想を語る楽器であるから、ゼルキンの演奏を好み、ルービンシュタインには触れない、という指摘もまたよくわかるし、ピアノで表現すべき音楽として、ショパンやラフマニノフではなくベートーヴェンを上げているというのもなるほどと思う。私は正直、ゼルキンの緊張感に満ちた演奏よりルービンシュタインの華麗な演奏の方が好きだけれども、それはピアノ、あるいはクラシック音楽に思想を見ようという「ドイツ音楽の世界性の至上性」というイデオロギーが私にはないからだなと思う。

まだ読みかけだけれども、この論考は知らなかったいろいろなことを教えてくれるなあと思う。音楽と小林秀雄がお好きな方にはお勧めしたいと思う。


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