258.体を休める/『夕凪の街・桜の国』/無意識の世界(04/20 07:52)


< ページ移動: 1 2 3 4 5 >

一昨日夜帰京。土曜日は新しい仕事の続きをやって、今までの仕事に一区切りついたのがあって、しかし体調はいまだによくなくて、でも7時前の特急で上京した。調子が悪いまま漂っている感じがあって、2時くらいまでつい起きていてしまったが、余計調子が悪くなって寝た。

5時くらいに目が覚めたが、とにかく今日は徹底的に体を休めることに専念すると決意する。体の要求に全部従うというか。それで5時半ころには散歩に出かけた。このところ全然歩いていないので調子が悪いのだという気もしたので。案の定、歩くと段々からだの調子がつかめてくる。金曜日には下っているのに便秘、という最悪の状態だったが、少しずつましになってきた。やはり朝歩くのは気持ちがいい。田舎にいるとつい車に乗ってしまうが、歩いて済ませられるところはなるべく歩くべきだなと思う。

田舎でも、結局車に乗っているといろいろと楽なのだ。疲れないというだけでなく、道で近所の人にあってもただ少し会釈すれば済む。向こうが気がつかなかったとしても気にする必要もないし。基本的にただ自分の運転に専念していればいいので余計なことを考えないですむ。また、まだまだ運転が面白い時期なので、運転していること自体が楽しいということもある。だからそれはそれとして、歩くこともちゃんとやったほうがいい。そうしないとやはり自分の体調が変になってしまうことは私にとっては確かなようだ。そうか、車で出かけて遠いところで歩けば近所の人には気を使わないで済むな。そういう考え方も出来る。ちょっと消極的ではあるが。

とにかく昨日の朝は歩いた。どこまで行けるか目標を立てずに歩いた。調子のリズムをつかむのが目的だから、体の要求に従って。途中で少し足が痛くなったりしたが、これは想定内。歩いているうちにまた平気になっていく。富賀岡八幡でお参りをし、荒川の堤防に出る。ここに来るのは久しぶりだ。川の水が少ない。いつもは川端のコンクリートの下、30センチくらいなのだが、1メートル近くあったのではないか。増水のときなどはコンクリ自体が水に漬かっている。春の増水ももう終わったということか。これから梅雨場までは水が少ないのかな。

帰りにコンビニでボルビックとパンを買う。日曜日は一日ものを食べないようにして水だけで過ごそうかと思ったのだが、目が欲しがってしまった。自宅まで歩く。行きは行きたいところまでいく、でいいのだけど、帰りはゴールが決まっているので少々面倒だ。逆の心境のときもあるのだけど。

うちに帰っても調子の悪いところに愉気をしたり活元運動をしたり。とにかく散髪には行かないと(月曜日は休みなので)と思い床屋にのぞきに行くが何度かまっている人がいてやめて、家に帰ってネットをみたり。文章を書くほどの気力は出ない。

とにかく徹底的に体を休めるという姿勢でいろいろやっているうちに、だんだん体の中から新鮮な気持ちや気力というものが湧き上がってくる感じがした。それは不思議な感覚で、満ち汐ではなく汐が引いていくときに、砂浜に今まで見えなかったものが見えてくるような感覚で、きらきら光る言葉が見えたりした。考えてみたら、今までずっと何とかしよう、何とかしようと気張り続けていて、まともに体を休めようとしたことがないんだなと思う。

それはきっと、20年前に就職したときからずっとそうなんじゃないかという気がした。いや、それは極端だが、仕事をし続けていつのころからか、そう責任が重くなってきたころからはずっとそれが解けなかったんだなと思う。10年前に離婚して仕事をやめて、それですべてを解き放って楽になったつもりでいたけれども実はそんなことはなくて、頑張らなければという気持ちが解けてはいなかった。気は抜けたけれどもこわばりは取れていない、という感じ。こわばりを取るためには、本気で徹底的に体を癒し、気持ちを休めるという決意のもとにそれを実行する必要があったのだ。あのころは意識して休もうという気持ちはあったのだけど、それを「徹底的に」やろうという決意のようなものが足りなかったのだと今では思う。体を壊してしまったこともあるが、それをやる気力のようなものまで壊れてしまっていたのだろう。今ようやく、その程度の気力は回復してきたということか。いやそれ自体ならもっと早くから多分ないこともないと思うけれども、その頃にはもう休めることは関心の外に行ってしまい、自分を何とかしなければならないという焦りに取り付かれてしまったのだと思う。


< ページ移動: 1 2 3 4 5 >
258/262

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21