257.ゴールデンレーズン/ピクニックの遠雷(05/04 08:38)


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昨日。どうも体がいろいろなところが不調だ、と感じていて、今朝モーニングページを書きながら考えたら、どうも木曜と金曜に畑で火を焚いたのがこたえてるんだなということに思い当たる。年を取ると疲れは数日後に出る、ということはよく言われていることだが、まさに全くその通りでむしろ新鮮な驚き。多分今までもそういうことはあったのだが、そういうふうには認識せずに、もっとほかのことが原因だと思っていたのだろう。特に腕や膝が痛いのが不思議だった。肩が痛いのは最近ずっと集中してものを書いているせいかと思っていたけど、どうもそれだけではないようだ。

昨日は何をやっていたんだろうと思うと、不思議なくらい五里夢中だ。パソコンでの作業は何かやるといつの間にかすぐ時間が経って、終わってみてもこれだけできたという実感があまりないし、時間がそのままブラックホールに吸い込まれたような気になる。プリントアウトすればそれはそれとしてものにはなっているのだけど、なんていうかそういうものに対する自分の中の評価が低いんだな。もちろん書き上げなければ意味がないのは承知の上なんだが、もう少し自分の仕事を客観的に見てそれを位置づけていかないと自分で訳がわからなくなる。そういうところが昔から下手なんだが、それはやはり今までちゃんとした評価が得られた仕事がないからなんだろうなと思う。ちゃんと成果をあげられる仕事をしなければと思う。

気分転換に夕方出かけて駅前の書店で本を物色したが何も買わずに帰ってきた。帰りに地元のスーパーで夕食の買い物。なんかちょっと既成概念が壊れたせいか、変なもの(というほどではないが)をいろいろ買い込む。中でもゴールデンレーズンというのにはまってしまい、パックからぼりぼり食べている。これは普通のレーズンと違い、黄色っぽい種類。チリのサンチアゴ産だそうだ。私はときどきこういうドライフルーツ系に妙にはまるときがある。ただそういうときは体調を崩す前というときが多いので、警戒はしている。

<画像>オーデン詩集 (双書・20世紀の詩人 7)
オーデン
小沢書店

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「名言集」で見たイギリスの詩人、オーデンの「死とは、ピクニックのときに遠くに聞こえる稲妻の音」という言葉が気に入り、何かに掲載されていないかと図書館に出かけて『オーデン詩集』(小沢書店、1993)を借りる。

<画像>アレン・ギンズバーグ 新装版
諏訪 優
彌生書房

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ついでに諏訪優『アレン・ギンズバーグ』(弥生書房、1988)とカーヴァー(村上春樹訳)『滝への新しい小径』(中央公論新社、2009)も。英米の現代詩人、いいなあと思う言葉が多いのだが、詩自体を集中して読む気持ちにはなかなかならない。詩を読む、というよりは言葉を読む、という姿勢で読むべきなんだなあと最近思う。詩は詩人の作品だが、言葉は詩人個人を越えたところにある気がする。詩人に共感するというような甘い姿勢ではなく、言葉そのものと向き合うことが、詩を読む上では重要なのかもしれないと思う。向き合う気にならないような言葉と付き合ってもあまり意味がないのだ。


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