253.池澤夏樹『スティル・ライフ』と80年代の空気(05/13 18:44)


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昨日。電車の中で小説を何作か読む。池澤夏樹『スティル・ライフ』(中公文庫、1991)と小川洋子『妊娠カレンダー』(文春文庫、1994)所収のもの。池澤夏樹「スティル・ライフ」は読了、小川洋子「ドミトリイ」は読みかけ。

<画像>スティル・ライフ (中公文庫)
池澤 夏樹
中央公論社

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「スティル・ライフ」は1987年度下半期の芥川賞受賞作。初めて読んだけど面白くて驚いた。なんというか、私がはじめての小説を読むときにいつも感じる違和感、抵抗感のようなものがとても少ない。それがいいことなのかよくないことなのかはよくわからないのだけど。読んだ後でいろいろ考えたのだけど、この小説が1987年という年に書かれたというのはとてもよく分る気がする。あの時代の空気の中でこの小説が書かれたというのはとても納得できる、といった方がいいか。時代はバブルが始まりつつあるとき。5年続いた中曽根内閣から11月に竹下登に政権が渡った。この年の9月に村上春樹の『ノルウェイの森』が刊行されている。この年のレコード大賞は近藤正彦の「愚か者」で、新人賞にノミネートされているのが酒井法子、坂本冬美など。吉幾三の「雪国」もこの年。7月に石原裕次郎が亡くなった。85年から始まった「夕焼けニャンニャン」が終わった。

ブルーハーツ「リンダリンダ」、映画では「マルサの女」「ゆきゆきて、神軍」ケビン・コスナー主演の「アンタッチャブル」。山田詠美が直木賞受賞。俵万智「サラダ記念日」が売れたのもこの年。後楽園球場最後の年。「鉄人」が流行語大賞に入っている。

自分のことを考えると、この年に教員の採用試験を受けたが受からず、短期間某高校の講師をした。劇団の活動と塾講師のアルバイトばかりしていた。彼女とうまくいかなくなったり、新しい彼女ができたりしていた。この翌年、初めて自分の書いた台本を上演した。(書いたけど上演できなかった=劇団が空中分解したことはそれまでもあったが)個人的にはアンジェイ・ズラウスキ監督の『狂気の愛』が日本で公開され、六本木シネヴィヴァンで見てものすごい衝撃を受けたのがこの年、だったか年明けか。(パラジャーノフ『ざくろの色』を見たのが91年か、カラックスの『ポンヌフの恋人』も91年だな、とこれは関係ない)

今思い出してみても怒涛だったから、「時代」なんていうものを全然客観的に見てなくて、こういうふうに並べてみると同じ年だったのがよく分らない感じだ。いやじつは、87年というのは自分にとってはやや小休止の年なんだよな。86年に芝居を二本やって、87年は出演ゼロ。年齢、考えてみたら25歳だ。そうか、25歳か。若いなあ。でたらめに試行錯誤の真っ最中。

こういう空気の時代に、当時42歳の池澤夏樹が書いたのが「スティル・ライフ」。当時から題名は知っていたけど、読もうと言う気持ちにはならなかった。『構造と力』が出たのが1983年、87年はポストモダンも全盛期と言っていい時代だ。相対主義が一世を風靡していたといっていい。ほんとうになんでもありの時代だった。1986年、ゴルバチョフがペレストロイカをはじめ、チェルノブイリの事故も86年。中距離核ミサイル全廃条約が結ばれたのが87年12月だ。世の中は明るい方向に動いている、とみんな思っていた気がする。社会主義圏の崩壊が起こるなんてまだ誰も(小室直樹以外は)考えてもいなかった。夢の遊眠社が代々木体育館で「白夜のワルキューレ」以下の三部作を一挙上演したのが86年。これを最後に野田秀樹の芝居をほとんど見なくなった。唐十郎が状況劇場を解散して唐組を旗上げしたのが88年。87年は上演記録がないが、何もなかったっけなあ。

とにかく、この時代の中で書かれた作品、なんだなあとこの「スティル・ライフ」を読むと本当にそう思うのだ。もう跡形もない時代なのだけど、この時代の、この時代に新しかった、この時代に未来だと感じられた何かがここに書かれている、という感じがするのだ。当時読まなかったけど、読んだらどんな感想を持ったかなあと思う。まあなんというか、当時の私の「青春」と言うものはこんな洒落たものではなかった。何か泥臭くある意味で地面を這いずり回っていた、主観的には。客観的にみればそうでもないんだけど。


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