19.俳句の詠み方と小説の書き方/藤野可織『爪と目』を読んだ(09/20 17:48)


< ページ移動: 1 2 3 4 5 >
【藤野可織『爪と目』を読んだ】

<画像>文藝春秋 2013年 09月号 [雑誌]
文藝春秋

まあそんなことを考えたのは、昼前に気分転換に書店に出かけ(何しろ睡眠不足なのでもう今日はオフにしてしまえという気持ちで)、書店で本を探していたら見事に読みたいものが何もなかった。まあ考えてみると何冊も読みかけの本を抱えているのだし、そのどれも面白いのだから、新しいものに触手が伸びないのも当然なのだ。しかしまあ、道楽と言うと本屋めぐりくらいしか田舎にいるとないので本屋に来たのだけど、まあしょうがねえなあと思いながら棚を物色していたら『文藝春秋』の9月号があった。芥川賞受賞作品の発表号だから、まあちょっと立ち読みでもと思って内容をぱらぱら読んでいた。いろいろな記事を読みながら、ああこの雑誌はなんというかアヴァンギャルドな人ではなく、中衛から後衛の、それでもそれなりに社会的な役割を果たしている人たちが、世の中のことを理解するために読む雑誌なんだなと思った。そんな感慨を抱きつ芥川賞の選評を読む。

私は小説を書こうと思ってから芥川賞受賞作品をなるべく読むようにしていて、リアルタイムのものだけでなく少しさかのぼって、2000年以降の受賞作品は全部読んでいる。しかしそれが前回の『abさんご』で途絶えてしまった。単行本を買いはしているのだが、どうも読む気を途中でなくしてしまった。いい悪いということではなく、読みたいのはこれじゃない感がかなり強くて、芥川賞作品を読み始めてから初めてなげだしてしまったのだ。そうなってみるともう今更芥川賞でもないかなとか「酸っぱい葡萄」現象が起こってきて、読む気がなくなってしまっていた。『爪と目』もどうもあまり魅力的に思えないというのもあって、まあいいかという気になっていたところがあったのだけど、自分の中の小説熱みたいなものが久しぶりに蘇ってきたのでちょっと手にとって読んでみたのだ。

あまり興味の持てない作品を「解説」から読み始めるということはときどきあるのだけど、「解説」によって読む気になることはときどきある。人の評判というのはなかなか難しいものだけど、さすがに解説はプロが書いているので、どんな面白さが得られそうかはわりあいよくわかる。ブログの書評は、どうだろう。まあ当たり外れはあるし、まあそういう雑なところがある意味ブログの魅力なんじゃないかなという気もする。

まあとにかく、そういうような感じで選評から読み始めた。受賞に至るのに、誰が推薦してだれが反対したとかは、結構その作品の面白さの質を知るのに役に立つことが多い。石原慎太郎とかがいた頃は小川洋子とか山田詠美とかその辺の選評が参考になることが多かったのだが、今ではもうその辺が選者のセンターという感じになってきたので、むしろ村上龍くらいの選評を読むのがどこがどう評価されていて面白いのかを知るために有効な感じがしている。

その村上が『爪と目』を評して言うには、「表現方法にそれぞれ意匠を凝らした作品が三作あり、その中の一つ『爪と目』が授賞作となった。意匠を凝らすというのは、リアリズムからの意図的な逸脱ということだ。……程度の差はあるが、読む側は戸惑いと負荷を覚える。」ということだ。なるほど、『爪と目』というのは意匠を凝らしてリアリズムから意図的に逸脱した作品らしい。まあ前回の『abさんご』もそういう作品だったと私は認識しているのだが、その逸脱の仕方に前回はついて行く気が起きなかったけれども、若い人(作者の藤野可織は80年生まれだから33歳か)の作品ならたぶんついて行けるんじゃないかと思った。


< ページ移動: 1 2 3 4 5 >
19/262

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21