17.苛立ちと創造:表現者タイプと賢人タイプ/「これじゃない!こうなんだ!」:「苛立ち」に対する自己否定感を克服すること/行動メモ(10/07 16:37)


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【「これじゃない!こうなんだ!」:「苛立ち」に対する自己否定感を克服すること】

私はどちらかというと子どものころからそういう言説に囲まれて育ってきたので、自分の中にある苛立ちとか怒りみたいなものに否定的な感情、ある種の罪悪感というか、自分の至らなさというか、自己否定感情というか、そういうものを持って育ってきた。だからまあ、穏やかな外観を持つことは今でも苦手ではないし、人に対してフレンドリーに振舞うすべみたいなものが多分自分のネイチャーに比べればできるようにはなっていて、まあそういう意味でプラスになっていると言えなくもない。

しかし自分の中に鬱屈したものはどうしても解決がつかず、腹の底から馬鹿な人たち(まあ自分が苛立つ相手ということだが)と同調して給料をもらえばいいというふうには割り切れてこなかった。集団的狂気の中にあって、その狂気に平気で合わせていられるほど神経が強靭ではないということかもしれないが。

まあ結局は、自分にとって大事だったのは、どうやってそういう苛立ちとか怒りとかを自分が肯定し、そのエネルギーを作品や文章や活動にしていくかということだったわけだ。

そこにたどり着くまでにはものすごく長い期間の試行錯誤が必要で、教員を10年やって心身症ぽくなって辞めた後、詩を書いたりブルーリボン運動に賛同する言説を一生懸命書いたりした時期もあったけど、なんだか本当に自分の苛立ちを形にすることはできなかった。少しずつでもそれを形にしていけたのは、小説を書き出したことと、『ずっとやりたかったことを、やりなさい』を読んでモーニングページを書き始めたことが大きかったんだろうなあと思う。

しかしそれを書き始めてからもすでにもうすぐ6年になるから、いまになってようやくこういうことが書けるというのは本当に時間がかかったなと思う。

今思うと、いくつかの小説には自分の苛立ちがちゃんと書かれていて、もしそれが評価されていたらそういう方向で何か創造の道があったのかもしれないのだけど、残念ながら今のところまだ広く評価されるには至っていない。

何年間かずっと小説をメインに表現を試みてきたのだけど、どうもそれだけではだめかもしれないと思ったのが今年の春以降になってから。やはり自分自身が何を求めているのか、何に違和感を感じ、何を変えたいと思っているのか、そういことを自分ではっきりさせながらではないと前に進めないのではないかという感じがしてきた。

前に書いたように自分で考えていたこともあって、私は自分を賢人タイプとして演出したいという気持ちがあった。しかしそうじゃないなと思う。本当に才能を持っている人というのは半端ではなくて、何のエネルギーも書けなくてもあっちの世界からどんどん引っ張ってこれる人というのはいるわけで、私なんかがそういう人たちと同じ次元でやったって勝負にならないことは明白なのだと、最近ようやく気がついた。

自分の財産は、この苛立ちそのものなんだと思う。そのエネルギーをどのように爆発させていくかは試行錯誤中だが、このエネルギーこそが原動力そのものであることは肯定しなければならないし、「これじゃない!こうなんだ!」とどんな形であれ叫んでいくしかないのだと思う。



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