15.コンテンツはどう受け取られるか/進路を決めるということ:四つの目標/私がものを書くわけ/村上春樹は世界で売れているのになぜノーベル賞を取れないか(10/31 19:06)


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【村上春樹は世界で売れているのになぜノーベル賞を取れないか】

月刊『MOKU』11月号を読む。今月号で面白かったのは、玄秀盛「世相を斬る!」で、「「一日一生」を教えてくれた人」と題し、自分が師事していた酒井雄哉阿闍梨との関わりについて書いた文章だった。酒井は天台宗に属し、もっとも困難と言われる修行、千日回峰行を二回成し遂げたことで有名な人だ。玄が最初酒井を訪ねた時は金色のキャデラックで寺に乗りつけたというが、玄によればそこで出会った不動明王像に何かを感じ、寺に通うようになった。その流れで得度までした。しかし玄の当時の仕事は神戸の「人夫出し」、つまり手配師で、支払いの悪いところにはとことん回収をかけたりしていたのだが、酒井に師事するようになってなにがしかの「仏心」を持ってしまい、それが出来なくなって、結局商売をたたんで現在の「日本駆け込み寺」の前身である「日本ソーシャルマイノリティ協会」というNPOを立ち上げることになったのだという。その過程でかわされた一言一言がなるほど、酒井は玄のことを本当に見ていたんだなあと感じさせるもので、逆に玄という人がこういう人なんだろうなあと思わされた。人の生き方を変えてしまう宗教というものの奥深い力を感じさせられた。

もうひとつは松本健一「世界文学とは何か」。知らなかったが松本は以前は文芸家協会に属し、文芸評論家の肩書を持っていたのだそうだ。彼の評論は社会評論とか政治思想に関わる評論というより、文芸評論の一種だと思って読んだ方が読みやすいように思った。

その彼が村上春樹を評しているのだが、村上の作品は基本的に「都市小説」であるという。都市小説というのは共同体から切れて都市でアイデンティティを喪失した人間が、その居場所のなさを埋めるために威勢の愛を求めると言ったテーマの小説で、必然的に恋愛小説になる、という。だから都市小説は東京やニューヨーク、上海に暮らす孤独な読者に共感を呼ぶのは当然だ、というわけだ。しかしそれは「世界文学」ではない、世界文学はそれだけではなく世界的なメッセージ性を持たなければならない、という。たとえば「神と人間」「宗教と教会」「人間の自由」と言ったテーマである。村上は『1Q84』でそれに挑戦したが、いまのところ失敗している、という評価である。

この批評は、「村上春樹は世界で売れているのになぜノーベル賞を取れないか」ということに対する、私が読んだ中でもっとも切りこんだ批評であるように思った。とはいえ、世の文芸評論家は村上春樹に対してあまり切り込む批評がしにくい状況はあるかもしれないと思う。その肩書を捨てた松本だからこそ、それが出来たのかもしれないとも思った。


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