15.コンテンツはどう受け取られるか/進路を決めるということ:四つの目標/私がものを書くわけ/村上春樹は世界で売れているのになぜノーベル賞を取れないか(10/31 19:06)


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バイトも最初はいろいろと上手くいかないこともあったが2年目くらいから軌道に乗り始め、一定の収入が入るようになった。取り忘れの単位も通信教育で取得して教員免状も手に入れた。芝居は相変わらず確信を持てないまま続けていたし、自分なりに世界を知ったことで日本人の陥りがちな「決められた生き方」という枠からはそれなりに解き放たれた。スペイン人のいい意味でいい加減な、人生を楽しむ生き方を見ているうちに、人生というものはこういうふうに生きてもいいんだ、と思えるようになったのである。

しかしだからと言って、とても一人前の人間になったとは言えないし、それどころかこのまま進めばそういうふうになれるという気も全然しなかった。やはり何もかもが中途半端な感じがしたし、かと言ってどれか一つに打ち込む気にもなれなかった。生活で一番比重を占めていたのは演劇で、そのためにたくさん映画を見たり、芝居を見たり、絵を見に行ったり、少しは小説も読んで、それなりに力をつけようとはしていたのだけど、「何かに所属してはいけない」という気持ちと「自分の本当にやりたいことはこれなのか」という気持ち、「いったいどうやったら自由で一人前の人間になれるのか」という問いの間でいつも揺れていたのだなと今にして思う。


【私がものを書くわけ】

思わず自分語りになってしまったが、もし若い人がこれを読む機会があるならば、そんなトライをしたバカもいたということが何かのヒントになるかもしれないと思ったからだ。いまにして思えば、一番楽で、でも大変なことも多いけれども、頑張れば一人前に近づきやすいのは、就職することだと思う。もしそれがやりたいことと違っていても、それをそれなりにやりきれれば自分の自信になって次のステップを探すことが出来る。

私もその後一応は10年ほど就職した時期もあるのでその意義も今は理解はできるのだが、やってみていまになって自分自身についてわかるのは、私は本当に何かに(とくに日本的な組織に)所属することが苦手だということだった。

学問の選択にしても、私は歴史が好きだったから歴史学にしたが、歴史学という分野は実はかなり癖のある分野で、その癖のようなものになじめないところがどうしてもあった。まあ学問でその学問特有の癖がない学問など存在しないだろうけど、出来れば「社風の合う会社」に就職できた方がいいのと同じように、学問全体の「ノリ」のようなものが自分に合う学問を選んだほうがいい、という部分はあるように思う。理系の人はそういうことをわりと考えているように思うのだけど、文系の人は自分の趣味が先に走り過ぎるので、そこで失敗するということは私だけでなくあるような気がする。

いま思えば、学問をコンテンツとしてとらえるだけで、それを生き方として深化させなければいけないというところに無自覚だったところに間違いがあったのだろうと思う。

結局私は森羅万象に感動し、そのそれぞれからいろいろなものを吸収して、またそのそれぞれについて感動をいろいろな人と分かち合って、自分の知ってることを伝え、知らないことを学び、一歩一歩前に進んでいく、そんな生き方がしたかったのだ。

結局それは、物を書いていくことでしかないだろう。

だから私は今、こうして物を書いている。

職業として今のところ成り立っていなくても、まずは書いていくことだと思って、書いている。



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