15.コンテンツはどう受け取られるか/進路を決めるということ:四つの目標/私がものを書くわけ/村上春樹は世界で売れているのになぜノーベル賞を取れないか(10/31 19:06)


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【進路を決めるということ:四つの目標】

私が大学生でこれから4年生になるというとき、恋人と別れた。別れはいつも手ひどいものだが、その時が一番ひどかっただろう。毎日何も手につかなかった。何をやったらいいのだろうと思っていた。心が動かなくなっていた。

その頃、芝居の関係で読んだ太宰治の小説に、こんな意味の一節があった。主人公は、目の前を小石が動いて行くのを見る。そして、ああ、石が動いているな、と思う。そして、しばらくしてからはっとしてみると、その小石には紐がついていて、子どもが引っ張って遊んでいたのだということに気がつく。そして無性に悲しくなる。子どもに騙されたことではなく、石が動くなどという天変地異を無感動に受け入れている自分に対して。

その頃の自分はそんな感じだった。

さすがに私もあるとき、このままではいけないと思う。それまで何があっても落ちなかった食欲が落ちてきて愕然としたのだ。そして自分なりに考えて、何をすればいいかと考えた。考えたことは4つあった。

塾の先生のアルバイトをすること。芝居に出演すること。教育実習に行くこと。ヨーロッパに行くこと。

その4つをする中で、何か自分の軸になるものを見出すことが出来るのではないかと思ったのだ。

結局3月から塾講師のアルバイトをはじめ、5月の芝居の公演に出て、6月には教育実習へ行き、7月から8月にかけてヨーロッパへ行った。

何を考えていたのかと思う。

まあ、いまにして思えば、だが。

普通は大学4年生と言えば就職活動真っ盛りだ。でなければ大学院の受験に向けて卒業論文の準備や試験対策に入っているだろう。教員になる気はあまりなかったし、塾もバイト以上のことを考えてはいなかった。芝居で食っていこう、という夢もゼロではなかったが、正直非現実的なんじゃないかという疑いの方が強かった。ましてやヨーロッパに移住しようなんて思っていたわけではない。

つまり、進路を選択する、ということについてほとんどまともに何も考えてなかったし、実際のところそれらの4つをするということも何か自分の芯になるものを見つけたいという、言わば自分さがしのためにやろうとしていたにすぎないのだ。

しかし不思議なことに、その当時はそれが全然おかしなことだとは思っていなかった。

むしろ、いまの若い人たちが必死になって就職活動をしているのを見聞して、ああ、それが人として正しい道だよなあ、とようやく気がついたという体たらくなのだ。

もちろん、身体や心を壊すまで頑張りすぎて企業に就職しなければならないと思いつめて自分を追い詰めていくような就職活動のやり方については見直した方がいいところもあるだろうとは思う。

しかし何者かになるためには、何かにおいて一人前になるためには、どこかに就職し、人に使われる立場になって働いて多くのことを吸収していくというのは、確かにひとつの優れた方法だと思う。

まず就職して、その分野でやれることを吸収して、一人前を目指す。当時の私は逆に、まず人間として一人前になってから何かをはじめよう、と思っていた。

しかしそれは実際にそうしてみると、実に壮大な話なのだ。

就職するということは、常に目の前に何かやることがあるということで、常に毎日様々なものを吸収していくことになる。だから、成長もはやい。人として未熟な部分も、毎日の仕事の中で自分で直して行かなければならないことに直面していく。

しかし、まず一人前を目指すと言っても、いったい何をやればいいのか。当時の私はまずお金を得て(アルバイト)、手に職をつけて(教育実習)、自分の表現を探し(芝居に出る)、世界を知る(ヨーロッパ旅行)と考えたのだ。我ながら筋は通っているが、どうも何かが間違っている。

つまり私は、自由になりたかったのだ。自由な人間になるためには、何かに所属してはいけないという気持ちがあって、それとさまざまなものに折り合いがつけられなかった。

それは多分、実際に職業は旅人、みたいな人、つまりスナフキンみたいな人を実際に知っていたせいもある。少し働いてお金を得ては旅を続け、また資金が尽きたら働く。どこかでそんな生き方に憧れていて、実際に自分にもそういうことが出来るような気がしていたのだ。

ただ実際のところ私はそういう感覚でいたのでその4つを実行しつつ卒論を書いて大学院を受けて不合格となって留年し、翌年も不合格で、しかも単位不足で教員免状も取れず、何も持たないで卒業した。バイトと芝居に明け暮れて卒業式の日も忘れていて、助手から電話がかかってきて怒られて学位記を取りに行った。


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