14.『かぐや姫の物語』は、一言で言えば、「どこまでも味わい尽くしたくなる映画」だった(12/02 12:02)


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<画像>かぐや姫の物語 サウンドトラック【特典:音源ディスク付き】
久石譲
徳間ジャパンコミュニケーションズ

十五夜の、月の使いが迎えに来る場面は見ていていろいろ混乱した。月の光を浴びると姫がスーッと自動人形のようにひきつけられていってしまうのもなんだか変だと思ったし(理屈で考えれば演出意図は分かるのだが)、迎えに来た仏像みたいな月の王が着ている服もなんだかマツコデラックスみたいだと思った。またあのアジアンな感じの音楽も『平成狸合戦ぽんぽこ』みたいだと思ってすごく違和感があったのだが、「アストラル界の音楽のようだ」という人がいて、なるほどそういうふうに聞くのかと思った。

つまり、あの場面は違和感を感じるべきなのだ。

天国とか月の世界とか、「清浄な世界」はこの地上の汚いかもしれないが「生命に溢れた世界」とは違うのだ、ということ。こちらの高畑監督と音楽担当の久石譲さんとの対談で、あの場面に対して監督は「(阿弥陀来迎図では)打楽器もいっぱい使っているし、天人たちはきっと、悩みのないリズムで愉快に、能天気な音楽を鳴らしながら降りてくるはずだと。最初の発想はサンバでした。」という指定を考えたのだという。悩みがないってなさすぎだろ、という感じだが、それを聞いた久石さんもさすがに衝撃を受けて、「ああ、この映画どこまでいくんだろう」と思ったそうだが、その結果「ケルティック・ハープやアフリカの太鼓、南米の弦楽器チャランゴなどをシンプルなフレーズでどんどん入れる」ということになったのだそうだ。アジアンどころではなかった。

清浄な月の世界、天界に、人は単純に憧れるけれども、本当はどうなんだろうか。それに憧れるよりも、この世界を力を尽くして生き、それを味わい尽くすことの方が大事なのではないか。受け取ってもらいたいメッセージは、そういうことなのだろう。

映画が終わり、クレジットが流れる中、二階堂和美の『いのちの記憶』が流れる。この曲は、まるでこの映画を長い長い歌、長歌であるとすると、その反歌のような曲だ。「あなたに触れた喜びが」で始まる歌詞は、先ず私が思い起こしたのは捨丸とかぐや姫の場面だが、『Switch』の二階堂和美インタビューによれば、その時妊娠中だった彼女は翁と媼が初めてかぐや姫を抱いたときの喜びから発想したのだという。

<画像>ジブリと私とかぐや姫
二階堂和美
ヤマハミュージックコミュニケーションズ

この映画は全体にそうなのだが、描かれているのが特殊性のない、誰にでも通じる、すごくイメージ喚起力のある、普遍的なものが描かれていることをたびたび思い知らされるのだが、その「触れる喜び」というものが持つ普遍性というものがこれだけ思い知らされる映画も、歌もないように思った。


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