14.『かぐや姫の物語』は、一言で言えば、「どこまでも味わい尽くしたくなる映画」だった(12/02 12:02)


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月の世界の住人であることを自覚した姫は、帝の前で姿を消したり表したりすることができる超自然的な能力を手に入れている。だから捨丸とのくだりも、それを考えれば不自然ではないかもしれないともいえるが、すでに多くの求婚を断っているかぐや姫は子どもではないのであり、子どもの淡い思いを描いた『千と千尋』とは違う。これはむしろ、「子供向きの映画では描けないこと」、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』にはなかった場面がオリビア・ハッセー主演の映画では描かれていた、ということを思い起こすべきなのかもしれない。インド映画で、カップルがいいムードになると踊りの場面になってしまうような。

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この世のものならぬかぐや姫とこの世のものそのものである捨丸の位置は、この世のものである千尋とこの世のものならぬハクとの位置が入れ替わっている。千と千尋のオリジナル性とかぐや姫の物語の古層性。大人になる前の世界のある種の完成である千と千尋と、大人になってしまう、そしてこの世にいつまでもいられない哀しみを描くかぐや姫。様々な意味でこの場面は千と千尋との対照性を思わずにはいられなかったので、最初はそれを書こうとして、「『かぐや姫の物語』は「『千と千尋』の裏返し」だった」という題にしようと思っていたのだが、書いているうちにそんなキャッチ―なフレーズはどうでもいいような気になってきてしまった。まったく脱線してしまった、元に戻ろう。


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