そういうふうに考えてみると、プーシキンはスマートだけれども、チャイコフスキーにはプーシキンには十分にあるとは言えないロシアの土俗性みたいなものが良く現れているととらえることが出来るわけで、まあたとえば現在の「白鳥の湖」の演出はプティバによってフランス的な洗練されたセンスが加えられてはいるけれども、それでもスピリチュアルなものへの志向は研ぎ澄まされている。
バレエというもの自体、まるで重力がないかのように踊るあの生体「立体機動装置」のような肉体そのものがある種幻想的だ。
チャイコフスキーには、私に見えていない魅力があったということを確認して、少し幸福な気持ちになったのだった。